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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

今日は日記の日 

2020年06月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


ブログに日記を書いてみよう!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう 今日はあの「宮城県沖地震」から42年です  夫の交通事故死以来の大きな出来事でした  まだ1歳の誕生日前だった娘は1年生で、息子は2年生・・ 電線が大きく揺れていたから、子供たちがいたずらしていたと思った  当時はまだ車の運転免許がなくて、バイクで通勤していたがバイクを止めることが出来ず、倒してしまい呆然とその場に立ちつくしていた  玄関の引き戸が一枚ずつ「スローモーション」のように、バタンと倒れて2枚目も・・ 揺れが止ってバイクを起こし家の中に、「大丈夫・・?」って声をかけたら子供たち二人が、泣きながら飛び出して来た  今朝・・たまたま娘が来てその時の話をしたら、学校で机の下って言われていたが近くになくって、掘りごたつの中に二人で入ったらしかった  偶々いつも母が座っているところに戸棚が倒れたが、「ばあちゃんあそこに座って無くって良かったよね」って言ったら、「私たちを心配して移動したんだよ(初めて聞いた)」と・・ 怖かっただろうねぇ・・北側から戸棚が、南側からはテレビが倒れ・・東側の出窓に置いた、金魚鉢(60pかな)の水は三分の一になっていた  それでも私がちょうど良いところに帰ったから良かった  勿論ばあちゃん(母親)もしっかりしていたが・・ あの地震で亡くなられた方は、倒れたブロック塀の下敷きになってが多かったが、父は娘がいつも遊んでいるお宅にブロック塀があったから、あそこにいなければ・・と心配しながら帰ったらしかった  父が心配したブロック塀は見事に倒れたが、娘は家にいて良かった  我が家は二階建ての通し柱が折れたから、もう家の中には入れなかったがあの時は「避難所」などもなかった  その夜はお隣(昔の家で柱が凄く太かったのね)に泊めていただき、翌朝空き家になっていたのを知っていたところがあって、大家さんの家に行き借りることにして来た  父の実家の従兄妹に車をお願いし、とりあえず使える必要なものを運んで翌日からは、貸家住まいでした  あの時はあの大震災のように義援金もなければ何もなかった  タンスなどもみんな倒れたし、米びつが倒れ冷蔵庫はドアが開いて中の物がみんな飛び出し、台所は足に踏み場がなかった  今日はたまたま娘が10時過ぎに来て、地震の時の話をしばらくしていたよ  その後は頂いていたコメントに返信後、Amazonから買ったものを返品しようとしたら、PCがフリーズしてしばらく動かなかった  やっと返信先をプリントし荷造りが終わったら2時、それから小林洋一さんのCDをAmazonに頼んだ  本当は昨日の残りの草むしりと思っていたが、誰かいたら「熱中症になるから」って怒られそうで外に出ていない  室温も30℃以上になって初めてエアコンをかけたよ  取りあえず「クロネコヤマト」まで行って来ようかなぁ・・ もしかしたら追加するかも・・  ブログ村に登録しておりますので、「ポチッ」と応援いただくと励みになります。

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