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金田博美、金田朋子

2020年5月30日山口新聞「東流西流」掲載 

2020年05月31日 外部ブログ記事
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厚生労働省主催「令和元年度フィリピン慰霊巡拝団」に参加して
フィリピン・ルソン島を南下してラムット川に着く。
開戦前マニラには多くの日本の商社や病院、学校が造られ、貿易や商いをするために日本から来た人々で活気あふれる邦人社会があった。
開戦後、侵攻してきた敵と戦うため男は戦闘員として現地招集され、女や子は敵から逃れるためマニラを離れ北上する。雨期で増水した川に足止めされるが敵から追われ川を渡る途中で一斉射撃され、二千人もの武器を持たない犠牲者を出した川である。
今、子供たちが笑顔で川遊びをする景色の中には75年前の悲惨な記憶の片鱗もない。

祖父は明治41(1908)年、農家の長男として生を受け21歳で結婚、5人の子に恵まれ、昭和19年37歳で召集される。37歳での召集年齢は比較的高く、戦況の逼迫を感じる。翌年5月17日ルソン島マニラ周辺方光山付近にて戦死する。この日は方光山麓にあるワワ・ダムで水源確保のための激しい攻防戦が繰り広げられ他部隊が転身する中、ダム死守の命令による戦いの末に戦死したと推察される。
入隊後1年足らずでの戦死、遺骨は無い。

祖父の戦没地モンタルバン着。穏やかに木々が揺れ小鳥が鳴いている。祖父が戦い、戦死した時と同じ山に囲まれ、悲しいほどの静寂の中、75年間待ち続けてくれた祖父へ手紙を渡す。

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