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平成の虚無僧一路の日記

新羅三郎義光と日の丸 

2020年04月26日 外部ブログ記事
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甲斐武田家重代の家宝「日の丸の御旗(みはた)」と「楯無(たてなし)の鎧」は、源頼義が前九年の役で奥州に向かう際、後冷泉天皇(1025-1068年)から下賜されたものと伝えられる。源頼義は「源家の家宝」として8領の鎧をそれぞれの子に分け与えた。その内の「楯無しの鎧」は、三男の新羅三郎義光に与えられた。
「楯無しの鎧」とは牛の膝の硬い部分で小札を作り張り合わせてあるので、矢を通さず、楯は要らない」という意味。
尚、八幡太郎義家の孫 為義も「源家の家宝」として「楯無しの鎧」を子の義朝に譲っている。義朝は1160(平治元)年、平治の乱に敗れて敗走する途中、重いので「楯無しの鎧」を脱ぎ捨てたとある。その鎧は「黒糸縅(おどし)」であったと『平治物語』に書かれている。
甲府の菅田神社に伝存する武田家重代の楯無の鎧は「小桜韋(かわ)黄返威(おどし)」である。
であるから「楯無しの鎧」は次々と作られて、親から子に譲られたようだ。
新羅三郎義光は、父頼義から授けられた「日の丸の御旗(みはた)」と「楯無(たてなし)の鎧」を嫡男義業ではなく、三男の義清に譲った。
それで「日の丸の御旗(みはた)」と[楯無しの鎧」が 甲斐武田家の家宝となった。
甲斐武田家では「御旗・楯無し」は神格化され、合戦に臨んで「御旗楯無し ご照覧あれ」、略して「ミタしょうらん」と唱えたとか。映画でもその場面が登場する。
御旗は雲峰寺に、楯無の鎧(国宝)は菅田神社に現存していて宝物館で見られる。また楯無の鎧の複製品が山梨県立博物館や甲府の武田神社宝物館に飾られている。


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