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平成の虚無僧一路の日記

「日の丸」は源氏のシンボルだった 

2020年04月26日 外部ブログ記事
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武田家重代の家宝「日の丸の御旗」と「楯無しの鎧」

源頼義は、この「御旗」と「楯無の鎧」を次男の武田義清に与えた。
なぜ、長男の義業に与えなかったのかは不明。
義業の子昌義が常陸国久慈郡佐竹郷(現茨城県常陸太田市)に土着して「佐竹」を名乗ったという。
源平合戦の折は、平家にくみしたため、源頼朝によって所領を没収された。1189年、頼朝が藤原泰衡追討のため奥州に向かった折、無地の白旗を掲げて頼朝軍に合流した。その頃まで、源氏は無紋の白旗だった。そこで頼朝から、区別するために扇を給わり、白旗の上に付けるよう命じられた。以来その扇(扇に月の輪)が佐竹家の家紋となった。これが武門の家紋の初めである。一般には「日の丸扇」といっており、秋田の竿灯祭りで飾られている提灯の図柄も「扇に日の丸」である。しかし正式には「五本骨扇の月の輪」という。

つまり、義光の長男義業の子孫の佐竹家も「日の丸扇」がシンボルだった。

佐竹義宣
ところで、実は実は、当家(牧原)の家紋は、この佐竹扇「五本骨扇に月の輪」。
そして、私の妹の嫁ぎ先がまた、佐竹の一族「石塚家」で、家紋は「五本骨扇に月の輪」。
全く不思議な縁である。

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