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「日本書紀」以降の天皇3(50〜53代) 

2020年04月21日 外部ブログ記事
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「日本書紀」以降の天皇3(50〜53代)

第50代桓武天皇
 ☆平安京への遷都と蝦夷討伐にまい進する
 *平城京では既存の仏教勢力が政治にも影響を及ぼす
 *桓武天皇は、山城国長岡に新都を造営した
 ☆造都の最高責任者だった藤原種継が暗殺される
 *天災や近親者の不幸などが相次ぐ
 ☆長岡京は不吉な都となり、都を平安京へ遷した
 ☆桓武天皇は蝦夷征討にも力を注ぐ
 *坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ東北地方へ派遣した
 ☆天台宗の祖である最澄を唐に派遣する
 ☆『続日本紀』の編纂を発案する
第51代平城天皇
 ☆父の崩御後に即位したが病弱
 *3年で弟の嵯峨天皇に位を譲った
 ☆藤原仲成・薬子兄妹にそそのかされ政権の奪回をはかった
 ☆嵯峨天皇側に機先を制され、出家に追い込まれた
第52代嵯峨天皇
 ☆三筆のひとりに数えられ華やかな文化を生み出す
 ☆薬子の変に際し、蔵人所という情報機関を新設
 ☆平安京の治安を維持する検非違使を設置する
 ☆嵯峨天皇の時代は、華やかな宮廷文化が花開いた
 ☆嵯峨天皇自身も書の達人として知られた
 *空海、橘逸勢とともに「三筆」と讃えられた
第53代淳和天皇
 ☆勘解由使を復活させた
 *国司が交代するときに生じる紛争を解決する
 ☆皇室の財政を健全化するため、勅旨田(ちょくしでん)を設置した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』






「日本書紀」以降の天皇3(50〜53代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

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