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たかが一人、されど一人

差別と区別 

2020年03月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

この駄文を愛読してくれたのだろう古い友人が、「性差別」について持論を述べよ、との命題を与えてくれた。長年書き続けてきた中で命題を貰ったのは初めてなので、応えないわけにいかない。まず改めて育った環境を言うと、5人兄弟の3番目、7人家族で女性は母のみだった。そのせいか幼い頃から結婚する29才まで女性は常に憧れの的だった。性の違いについて意識下にあった筆頭は、男性に比べて女性の方が頭が良いことだったように思う。今にして思えば幼い子供によくある勘違いで、我々の小学生時代は女子の方がよく勉強をして成績の良い子が多かったに過ぎないのだろう。しかし運動能力に関しては圧倒的に男子のほうが優位だと思っていた。これも勘違いで、先に能力と書いたが、能力に差があるとは思えない。女性は賢いから無駄な力を出さないだけで、時と場所によっては男性と同等かそれ以上の力を発揮することがあるはずだ。身体能力の差は大差ないが、未だに払拭できない思いがある。必ずしも頭が良いわけではないはずなのに、意地の悪さでは女性の方が遥かに上をゆく。男に騙される女と女に騙される男の統計は未だ目にしたことはないが、これまで見聞してきた情報から勝手に推測する限りでは、馬鹿みたいに騙されるのは男のほうが多い。友人が示してくれた神奈川新聞の投書欄「3月のお題:性差別を考える」を読むと、ご同輩の女性が給与面での男女差について触れているが、現在の社会ではもう殆ど無いと思う。我々の時代は大学卒と短大卒と高卒の間には給与格差も有り、因果関係は逆かもしれぬが与えられる仕事そのものが、女子はお茶くみが当たり前だった。入社した会社が小さな広告会社だったこともあり、会社への貢献は男子が担当していた営業が最大だろうと内心思っていたが、これも今冷静に思えば果たしてどうなのかだ。決定打になったのが入社25年目の転職、新しい職場にお茶汲み女性なんか一人もいなかった。のみならず、女性社員は新入年寄の面倒を見る素振りさえ見せない。僅かに若い男性社員が色々教えてくたことを思い出す。年代によるジェンダー差別を味わった。女性に対する勝手な憧れ意識を持って結婚した嫁が徹底した男女分権主義で、第三者がいると夫唱婦随を装って振る舞っているが、家で指しになると大変厳しい。特に彼女の内面に関してはどこかに明確な一線があって、生涯その内側に入ること許されなかったように思う。反面こちらはお釈迦様の掌に乗った孫悟空同様素っ裸にされていたと思う。

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