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平成の虚無僧一路の日記

力道山を刺した男 

2020年03月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



スーパースター「力道山」は、1963年(昭和38) ヤクザの村田勝志に刺されて死んだ。ネットで検索していて、面白い記事を見つけた。「村田勝志」本人から直接聞いたという話。昭和38年といえば、東京オリンピックを前に日本中が湧いていた年。赤坂に「ホテルニュージャパン」というホテルがあった。後に火災を起こし、千代田生命が購入して倒産に追い込まれた原因のひとつとなったホテル。政治家の藤山愛一郎がオーナーだった。その地下に「ニュー・ラテンクォーター」と言う高級クラブがあった。「ポテトチップなどのつまみだけで一人5万円」(今なら30万くらい)と言う。そこの前身の「ラテン・クォーター」には、インドネシアの故スカルノ大統領夫人となった「デビ夫人」も勤めていた。デビ夫人も当初は千代田生命で給仕をしていた。そこの用心棒をしていたのが「村田勝志」だった。事件の発端は、入口付近で、泥酔した力道山が女と話しをしていて、その前を「村田」が通り過ぎた時に、力道山が「足を踏まれた」と後ろから村田の襟首をつかんだ。「村田」は「踏んだ覚えはない」と言い返したのだが、力道山は泥酔状態で村田と口論となった。力道山は、酒癖が悪く、「ぶっ殺してやる。」と村田を張り倒し、馬乗りになってボコボコに殴ってきた。あの空手チョップでやられたらひとたまりもない。「殺される」と感じた「村田」は、登山ナイフで、下から力道山の腹を刺した。短刀は根元まで刺さったが、出血はあまりしなかった。力道山がひるんだ隙に 村田は現場から逃走。力道山はいったん席にもどり、脇を抱えて飲みなおした。やがて出血がひどくなって 近くの山王病院に行き、応急手当を受けて帰宅した。事件から2日後、力道山は腹部の症状が悪化したために山王病院に入院。手術は無事に成功した。しかしその約6時間後の午後の9時過ぎに死亡したのであった。死亡原因は、気管内チューブの気管挿管を失敗して窒息した医療事故と言うことになっている。が、真相は麻酔の投与過多だったそうな。加害者の村田氏は、懲役7年の刑を受けた。その後、チンピラだった村田勝志はその後「住吉連合系」の組織「村田組」の組長になった。力道山は性格的には粗暴で、感情の起伏が激しく、機嫌が悪いと飲食店での暴力沙汰は日常茶飯事だったという、“国民的アイドル”“人気スーパーヒーロー”が、ナイフであっけなく逝ってしまったことに、当時の国民大衆は多いに嘆き悲しんだものだった。が、その素顔を知って、今、さもありなんと思う。

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