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たかが一人、されど一人

時の流れに〜 

2020年03月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

年初の予定であれば今日はブログもお休み、信州志賀高原でスキーを楽しんでいる筈だった。しかし残念ながらそれは叶わないことになってしまった。80歳になる日も1ヶ月を切っている。「そういつまでも遊んでばかりしていてはいけません」との天の声が聞こえるようだ。時がゆっくり流れたか早く過ぎ去ったかは分からない。ただ誰がなんと言おうとも80歳とは超長生きだと思う。生を受けた昭和15年(1840年)当時の平均寿命は多分50歳が精々だった筈。物心ついた4,5歳頃には、軍人になって20歳そこそこで死んでも男の子である以上仕方がないくらいに思ったこともある。そんな思いも束の間で日本から軍隊が消えた。その時父は南方(バリ島)に居て不在だったので、暫くは母と祖母が導き育ててくれた。そして刷り込まれたのが「例え国とか政府が当てにならなくても、世界中が敵になっても、ご先祖様がお前を守ってくださる。」だった。どうも幼少の頃から単純だったのか、三つ子の魂で、誰でもそうなのか知らぬが、兎も角普通に成人して目出度く還暦を迎えることができた。1975年だから日本人の平均寿命も60歳は既に超えていたと思うが、実感でも歳をとった感じはしなかった。それから5,6年経つと同期生がぽつりぽつりと亡くなったり、すぐ上の兄が「70の坂を越えるのは容易じゃないぞ。」と言い残してすぐに亡くなってしまった。当然ながら死というものが身近に迫っていることを思わずには居られない。その恐怖から逃げるために山歩きをして神社仏閣にお参りしたりしているのかもしれぬ。お陰かどうか、兎も角兄が言った70の坂も無事に超えた。当時は嫌な言葉だと思った「後期高齢者」との境も今となれば過去のこと。思えば生まれが東京オリンピックの年、大正バブルも少しは残っていたかもしれぬ。オリンピックが幻に終わり、本格的悪夢が始まった。悪夢が終わったのが昭和35年とすれば、個人的には20年で収束したとも言える。それからほんの10年も経たぬ間に、お馬鹿な日本人は悪夢を忘れてなにか勘違いをしたようだ。そして又オリンピックも中止になるかどうかの騒ぎで、本格的悪夢が始まるのかもしれぬ。80年前とは異なり、世界的に医療を含む科学は進歩し、社会の整備状況も良いだろう。ただ現在問題になっている病気の特効薬と予防ワクチンは未開発であるのも事実。治す薬が開発されるまでとなると、少し期間が必要だろう。オリンピックは兎も角、若人のために夏の甲子園ぐらいは実現してほしいものだ。

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