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平成の虚無僧一路の日記

宮城道雄 子供の頃 

2020年01月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



九歳の年の六月一日に、兵庫の中島検校の許へ弟子入りをした。師匠はきびしく、「盲人は記憶力が肝腎である、一度習ったことを忘れたら、二度とは教えてやらない」と常に言われた。私が三味線の「青柳」と言う曲を忘れた時、ひどく叱られて、曲を思い出す迄は、御飯も食べさせない、家へも帰らせないと、留めおきをくった。不思議なことに、お腹がすいてくると頭がさえて、忘れたのもつい想い出すのである。 また寒稽古といって、寒中に戸障子を明け放して、寒い方へ向って百篇とか、千篇とか繰返して弾く。そして手が冷たくなると、手を水をつけてまた弾きだす。しまいには指から血が出るようなこともあった。 師匠がきびしかったおかげで、私は十三歳の年に、師匠の免状を許された。しかし私としては、これから本当の勉強をしたかったのであるが、もともと家が裕福でない上に、父が事業に失敗して朝鮮へ渡って行ったが、また運悪く賊に襲われて、重傷を受けた。私は、已むを得ず十四の年に朝鮮へ行くことになった。
仁川へ行って見ると、父の身体がまだはっきりしないので、結局私の細腕で箏の師匠をして、一家を支えなければならなくなった。

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