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平成の虚無僧一路の日記

戦後最大の真贋論争 『東日流三郡誌』 

2020年01月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「東日流」と書いて「つがる」と読ませる。青森県の「津軽」のこと。 『東日流外三郡誌』とは、1970年代に、青森県五所川原市の「和田喜八郎」が、 「自宅を改築中に天井裏から落ちてきた」として公開した古文書。 数百冊にのぼる膨大な文書で、「古代の津軽地方には高度な文明が 栄えていた」という内容。 「遮光器土偶」の姿をした「荒覇吐(アラハバキ)」という一族も 登場する。 古代「邪馬台国」についても詳細な記述があり、人々を驚かせた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「太古に於いては日本海は湖で、南北の海洋はみな陸で支那、韓土に 続いていた。よって北方から渡って来たものが多い。流鬼国の流鬼族、 日高国の毛奴呂族、東日流の阿曽部族、出羽陸奥国の津保化族、坂東国の 宇津味族、越国の那賀美化族、信州の津耶那族、山城の津止味化族、 因州の伊都毛族、大和の那津味化族、淡津の賀止利族、南海道の狼族、 備州の荒味化族と宇津奴族、筑紫国の猿田族と熊襲族、琉球国の高砂族 があった。これら諸族の人数は二百五十万人で、二百万人は北方渡来民と 云われる。ここから安住の国造りを成したのが耶馬台国の那津味毛族である。 この一族に三人姉妹の霊媒師があらわれ、その名を日神子(ヒミコ)、 地神子(チミコ)、水神子(ミミコ)という。彼女等は大衆に神の 崇拝を説くカミクラヤ(神殿)を築き、耶馬台五畿七道の民はことごとく 寄せ集まった。耶馬台国とは日の本国の称号で、流鬼国、日高国、 日高見国、坂東国、越国、出雲国、信濃国、耶馬台国、南海道国、 筑紫国、高砂国、東日流国のことを云う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ と、偽書にしては驚くべき想像力と創作力。さらに中世については 「十三湊(とさみなと)」は、源義家に滅ぼされた「安倍貞任」の 遺児を祖とする「安東氏」が支配する「安東国」の首都で、満洲や 中国・朝鮮・欧州・アラビア・東南アジアとの貿易で栄えていた。 中国人・インド人・アラビア人・欧州人などが多数の異人館を営んで いて、カトリックの教会もあった。北朝鮮と接する中国(旧満州)の 「安東」(現、丹東市)は、安東氏が中国に築いた国という。 しかし、1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年)または1341年 (南朝:興国2年、北朝:暦応4年)の大津波によって、十三湊は 壊滅的な被害を受け、安東氏政権は崩壊したという。 「十三湊」は、津軽半島の日本海側ほぼ中央にあり、岩木川の河口に 形成された「十三湖(じゅうさんこ)」の西岸に位置する。平成3年 以降発掘調査が行われ、13世紀初頭から15世紀後半に栄えていた 広大な遺跡群が確認された。しかし、津波の痕跡は発見されていない。 発掘調査によって、中世までかなり栄えていたことが確認された にもかかわらず、『東日流外三郡誌』は、今日では「偽書」とされる。 「偽書」とする理由は、「原本」が無く、すべて和田氏の筆跡。 用語に現代語がある。紙が明治のものもある。紙を古く見せるために 使用したとみられる「尿」を貯蔵していたなどなど。 次から次と「古文書」が出てくるが、和田氏の邸宅は 昭和の建築で、 屋根裏から落ちてくるはずがない。これだけ膨大な史料を隠す スペースも無かったことが、NHKの取材で明らかにされている。 さて、真贋論争が決着したはずだったが、1999年に和田氏が 亡くなった後、2006年、和田氏の遺品の中から、寛政時代に 書かれたという「原本」が発見され、さらに新たに『東日流 “内”三郡誌』までが出たきた。しかし、これも和田氏の祖父の 筆跡に似ているという。 どうしてこうも後から後から出てくるのか、まったく、せっせ せっせと書き続けた和田氏の祖父とは 何者なのか。なにせ、 ダーウィンの進化論やビックバンまで登場するので、相当の 知識と想像力、創作力が要求される。その能力は小説家より すごい。 しかしその中には、考えさせられる伝説もあるのである。?

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