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雑感日記
『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』 雑感
2020年01月16日
テーマ:テーマ無し
★ごく最近、Facebook にこんなOgasaさんの記事が出た。 カワサキが1965年に、ロードレースで初めて頂いたトロフィーなのである。 そのコメントの中で Ogasaさんが『このレースで入賞していなかったら、カワサキのロードレースチームが出来るのは、もっと遅れたのですか?』 というご質問だったので、 『纏めて書きますね。』とお約束したものだから、?当時のことを含めて、私なりに纏めてみたい。★この当時、カワサキはレースに関しては結構一生懸命にやってはいたのだが、それは『モトクロスの分野』に限ってのことだったのである。『ロード・レース』の分野にも、いつかは出ていくことになったのだとは思うが、山本隆さんが『鈴鹿のレースに出たい』と若し言わなければ、そんなレースがあること自体も知らなかったので、カワサキのロードレース分野への進出はもう少し後になったのかも知れない。少なくとも、この翌月の6月に行われた『アマチュア6時間耐久レース』には出場していなかったような気がする。なぜ山本隆さんが『ロード・レース』と言いだしたのかは、この年の1月に当時のBSチームから、山本・歳森の引き抜き事件があって、二人ともBSとの契約条件などを聞いているのだが、その時BSからは『ロード・レースへの出場』もその『契約条件』に入っていたものだから、それを聞いて『ロード・レース出場』に関心があったのだと思うのである。カワサキにとってはこの『移籍事件』は大きかったのだが、西海義治さんや片山義美さんの判断もあって、二人とも『カワサキ残留』が決まったのである。その件で、私はライダーと初めて話をしたのが『片山義美』さんだったのだが、片山義美さんのカワサキのレース対応に対する指摘は厳しかったが、『仰ること』は納得できて、この1件から『私自身がレースに関与』すると片山義美さんに約束したのである。この件がなかったら、私自身のレース関与も、もっと後になったのかも知れない。★当時のカワサキはレースは勿論、二輪の世界にも『素人』ですべて『手探り』状態だったのだが、それに比べてBSは旧トーハツのレース関係者がおやりだったので、カワサキに比べたら『玄人』であったことは間違いないのである。そんな状態の中での、山本隆さんの『ロード・レース』出場希望で、新車を自分で買ってそれをチューニングだけレース職場に頼んで、『個人で出場する』積りだったのだが、当時、生産部門にいてレース職場も担当していた田崎雅元さんが都合してくれて、出場費用は『鈴鹿のモトクロス』に出場することにして、ことを進めたのである。★このレースのことを『カワサキが初めて鈴鹿を走った日』と題して、このブログをスタートした2006年の11月にこんなブログをアップしている。https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8356d318b5dc414c15dd1b7488a09f63その概略を転記してみる。1965年(昭和40年)5月3日、カワサキがはじめてスズカのロードレースに登場した日である。当時カワサキは、モトクロスでは頭角を表わし始めていた。4月18日朝霧で行われたMCFAJの全日本モトクロスで、星野一義が90ccノービスクラスで優勝した。彼の初優勝である。当時は、ロードレース出場は、未だ会社で認められていなかったのだが、モトクロスのトップクラスのライダーであった、山本隆君がどうしてもスズカのジュニアロードレースに、出場したいと言い出したのである。メカニックたちにレーサーが造れるか打診したら、何とかなるだろうという。スズカのモトクロスに出場することにして、会社には黙ってこっそり出てみるかということになり、2台のレーサーを造り上げたのである。2台のマシンを都合してくれたのは、当時は生産部門にいてレースにも絡んでいた田崎さん(後川崎重工業社長)だった。モトクロスの山本だけではもう一つ自信がないので、ロードの経験のある北陸の塩本にも出場を要請したのである。案の定、山本は3分40秒前後でしか、走ることは出来なくて、これではとても入賞できるタイムではなかった。駄目かなと思っていた本番のレースで山本隆はは、見事3位に入賞したのである。私の記憶が正しければ、1,2位はその後もロードレース界で活躍したホンダの神谷,鈴木で、結果はホンダ、ホンダ、カワサキと初出場で表彰台に立ったのである。なぜ?当日のスズカは雨になった。この雨がカワサキに味方した。終始、BSの滋野のあとにスリップストリームでついて、最後の最後、滋野をかわして3位になったというのである。雨でタイムが遅くなったこと、滑りやすいコースが、モトクロスライダーの山本に幸いしたのである。私は、現場には行っていなかったが、チームマネージャーの川合さんから、5月の連休中の自宅に『ヤマ3、シオ8、セイコウ,カワ』の電報が入った。喜ぶより、びっくりしたのをよく覚えている。カワサキの初レース、モトクロスの青野ヶ原でも、このスズカでも、雨が助けとなった。 本当に何かの運である。3位入賞して大きなカップを持ち帰ったので、黙っていた会社にも、その結果を報告したら、『ホンダに次いで2位か』ということになって、一挙にロードレース熱も上がり、この結果が会社でも正式にロードレースの参加を認めることになったのである。約1ヵ月後の6月13日、アマチュアスズカ6H耐久レースにカワサキとして正規のデビューを飾ることになった。3台のマシンを造り、6人のライダーで出場することになった。関東のカワサキコンバットから梅津、岡部、テストライダーチームから加藤、飯原は決まったのだが、関西の神戸木の実の歳森の相手の山本が先月のジュニアロードレースに出てしまっていて、アマチュアでは走れないのである。そんなことで歳森康師が『相棒に速いのが居るので連れてきていいですか?』と呼んできたのが、金谷秀夫なのである。 このレースが歳森康師と組んだ、金谷秀夫の初レースでもある。もう、40年も前のことである。このことを、正確に記憶しているカワサキの関係者も少なくなった。このレースのマネージャーだった、川合さん,塩本君、塩本を出してくれた内田さん、ロードレースを許可してくれた苧野さん。みんな故人になってしまわれた。こんなレース創生期に苦労した先人たちの努力が、今のカワサキのロードレースに繋がっているのである。?★このように書いているが、この時のマシンを作ってくれた松尾勇さんも、歳森も金谷も、梅津も岡部も逝ってしまった。不思議なことに、このアマチュア6時間耐久レースのきっかけになった山本隆さん、監督の大槻幸雄さん、田崎雅元さんと私はまだ健在なのである。大槻幸雄さんは、『Z1開発の功績』で、昨年日本自動車工業会の殿堂入りを果たされた。来る4月18・19日に、大槻さんの出身地の京都・綾部に Kawasaki Z1 Fan Club の人たちが集まって、そのお祝いをしようとの催しが進んでいるが、その時 集まる山本隆・大槻幸雄・私に加えて、今田崎雅元さんにもお誘いを掛けているので、ひょっとしたら『カワサキのロードレース・スタート』のメンバー4人が顔を揃えることになるかも知れないのである。 ★そんな想いでいっぱいの由緒あるトロフィーだが、2月1日に神戸で開催される『片山義美さんを偲ぶ会』には、このトロフィーも会場に飾られることになっている。片山義美さんご自身は、カワサキとは直接契約などはなかったのだが、『片山義美さんの神戸木の実クラブ』とはその傘下のライダーたち歳森・山本・金谷・村上・星野・清原・和田などいろいろと関係があって、お世話になったのである。いろいろとあったカワサキのレースの世界である。このトロフィーが、その歴史の本格的なスタートになったと言えるのかも知れない。★NPO ?The Good Times のホ―ムページです★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。★50万人フォロワーのいる公式ツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。
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