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平成の虚無僧一路の日記

渋谷 道玄坂の光と闇 

2011年07月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私は、渋谷から東横線で三つ目の祐天寺で生まれ育ったから、
渋谷駅については、戦後 テント張りの「ヤミ市」が立っていた
時代から知っている。しかし、よくよく考えてみると、東急
百貨店や西武デパート、そしてNHKに行く道以外は よく
知らない。道玄坂の上の方は、足を踏み入れてはいけない
場所だった。

「東電OL殺人事件」の後「立ちんぼ(街頭で客引きする
娼婦)」が居なくなったというから、今は健全な町なのかも。

今は、若者がひしめく道玄坂界隈だが、佐野真一のノン
フェクション『東電OL殺人事件』のおかげで、道玄坂と
円山の歴史を知った。

「道玄坂」の由来は、なんと「盗賊の大和田太郎道玄」が
潜んでいたためとか。地名の由来からして おそろしい。

事件のあった「円山(まるやま)町」あたりは、 江戸時代
火葬場があった場所で「隠亡(おんぼ)谷」と呼ばれていた。
これも、初めて知った。どおりで、霊的なものに敏感な
私には近寄り難い場所だった。

道玄坂の中腹には、江戸時代、「富士講」の本部が置かれ、
人々で賑わった。この信仰は、富士山を女体に見立て、
山麓に点在する「風穴」や「氷穴」になぞらえた洞窟を造り、
そこを巡る(胎内巡り)ことで、死と生まれ変わりを体験する
というもの。
 
道玄坂を登りつめれば、その裏は 急な坂になっていて、
谷に続いている。そこが円山町一帯で、当時は火葬場だった。
そして、谷底に「神泉」と呼ばれる泉があった。井の頭線で
渋谷から一駅目の駅が「神泉」。渋谷駅周辺のビル街とは
がらりと一変する。W.Y.が殺された安アパートもここだ。

そこには、江戸時代「聖(ひじり)」と呼ばれる半僧反俗の宗教者が
住みついていて、泉の水をわかして「弘法湯」という癒しの
お湯を、疲れた人々にふるまっていたという。

「半僧半俗の聖」の話は、紀州由良興国寺の裏に「普化谷」
というところがあり、虚無僧たちが「湯」を沸かしていた
という話に類似している。

「東電OL殺人事件」の被害者W.Y.もまた、貧しいネパール
人たちに、性を捧げる「比丘尼」であったか。なぜか、私は
魅かれるものがあり、彼女の生き様に共感するのである。

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