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朝日新聞「考 令和の天皇」戦歿者慰霊 あり方議論を 吉田裕さん 

2019年10月10日 外部ブログ記事
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今朝の朝日新聞の連載「考 令和の天皇」に、一橋大学大学院特任教授吉田裕さんが「戦歿者慰霊 あり方議論を」と題したインタビュー記事がありますので転載します。

<文字起こし> 
 今年8月、初代宮内庁長だった故田島道治の「拝謁記」が明らかになりました。
昭和天皇への面会内容を記した文書で、「反省といふのは私二も沢山あるといえばある」と戦争への反省を語った記されている。悲惨な結果を防げなか責任を、天皇自身が語ったいたことがうかがえます。
 昭和天皇は1984年、韓国の国家元首として初めて来日した全斗換大統領に「両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾」と述べ、植民地支配に、遺憾の意を示しました。平成の明仁天皇(上皇さま)は即位翌年の90年、慮泰愚大統領に「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味われた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と述べました。政府の「村山談話」(95年)に先んじて、日本の加害責任を認めたとも言えます。
 ただ、本来こうしたメッセージは、政府が発すべきもの。政治的権能を持たない天皇が戦争への反省を「代行」している形になっています。
 平成天皇が力をいれた戦没者慰霊も、どこを訪れるのか、訪問先でどのような言葉を発するのか、日本人以外の犠牲者まで追悼するのか。政治的にデリケートな問題をはらんでいるのに社会や国会などできちんと議論されませんでした。
 令和の時代も同じような取り組みを天皇に求めるべきかは難しい問題です。戦争の風化を防ぐ役割がある一方で、政治利用される余地を生むからです。ただ、現状のように天皇側に「丸投げ」するのではなく、どういう形で天皇が戦争の歴史と向き合っていったらいいのか、政府や国会、社会が議論をし、その行動が憲法の枠内にとどまっているのかどうか、国民も目をこらすべきです。(中田絢子)

(了)

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