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再掲「今上天皇と宮中祭祀」 

2019年09月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨日何方かがこの記事を訪問してくれました。
「即位の礼」と「大嘗祭」が近づいてきましたので再掲します。



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 東京大学付属病院で行われた今上天皇の心臓の冠動脈バイパス手術は18日午後、無事終了した。

 宮内庁病院金沢医務主管は78歳の陛下の今後の公務について「心臓が良くなったから若い時と同じようにやっていただけるとは決して思っていない。ある程度の配慮は続けさせていただきたい」と記者会見で話していたが、公務自体は皇太子が摂政としての代理を務めることは可能であろう。しかし一番の問題は宮中祭祀のことである。

 宮内庁のサイトには「宮中のご公務など」として・新年祝賀・一般参賀・天皇誕生日祝賀・一般参賀・親任式・認証官任命式・勲章親授式・信任状捧呈式・ご会見・ご引見など・拝謁・お茶・ご会釈など・午餐・晩餐・園遊会・宮中祭祀が紹介されている。

 宮中祭祀の中で、最も重要な儀式が新嘗祭である。昨年、新嘗祭について宮内庁から二つの発表事項があった。

『新嘗祭について 今般,皇室医務主管より,専門医からの報告として,本年2月に行ったご検査の結果判明した冠動脈の狭窄状況により,陛下が,長時間にわたってお祀りを行われることには,様々なリスクがあるとの指摘があった旨連絡がありました。このため,今年からは,そのリスクを少しでも軽減するという観点から,新嘗祭における陛下の神嘉殿へのお出ましの時間を短縮し,夕の儀も暁の儀と同様,儀式の半ばより出御され,また,両儀式とも,皇族及び諸員による拝礼前にご退出されることをお願い致しました。ちなみに,昭和天皇は,69歳になられた昭和45年,新嘗祭の暁の儀へのお出ましを取り止められ,夕の儀だけにお出ましになりましたが,翌46年,70歳になられてからは,その夕の儀においても時間を短縮され,儀式の半ばから出御され,早めにご退出しておられました。なお,今般医師からは,陛下のご年齢に鑑み,陛下にも,この時からの昭和天皇の御拝と同様に遊ばして頂きたく願い上げましたが,やはり夕,暁ともに遊ばすとの仰せがあり,両儀式を上記のような出御,ご退出によって遊ばして頂くようお願い致しました。 平成23年11月1日:宮内庁 天皇陛下には,ご病状に関する皇室医務主管および東大病院の担当医師の判断に沿い,来週に予定されている新嘗祭へのお出ましを差し控えられることになりました。 なお,皇太子殿下は,夕の儀及び暁の儀の両儀式とも,儀式の半ば過ぎに,拝礼のために参進され,皇族及び諸員による拝礼の前に退出なさいます。 平成23年11月18日:宮内庁』 ところが、今上天皇は11月6日から24日まで東大病院に入院したので、新嘗祭は掌典長が代理を務め儀式が執り行われた。(掌典職/国家行政機関たる宮内庁の組織とは別の内廷の組織で,皇室の祭祀のことをつかさどっています。掌典長の統括の下に掌典次長・掌典・内掌典などが置かれています)

『天皇陛下のご体調について 天皇陛下には,最近,軽い気管支炎に繰り返しお罹りになっておられましたが,今回は,発熱が続き,気管支炎がより重くなってきております。これまでにご疲労が相当蓄積し,お身体の抵抗力が低下しているご状況にあられると拝察されますので,この際,大事を取って,今夜から東大病院にご入院頂き,ご治療を続けさせて頂くことになりました。 平成23年11月6日:宮内庁

天皇陛下には,本24日午後にご退院なさいます。少なくともここ数日は御所に於いてご療養をお続け頂きたいとの皇室医務主管及び担当医師の見解を考慮しつつ,今後のことについては,ご快復の状況を勘案しながら,検討を進めることと致します。 平成23年11月24日:宮内庁』

 なに故に皇太子が代理をしなかったか、言い方を変えれば皇太子は代理が出来なかったかという宮中祭祀の奥深い歴史問題(皇国史観)が横たわっているのである。それには宮中三殿と天皇系図に関連して、皇祖天照大御神の御代まで遡らなければならいのである。


宮中三殿

『皇居内の賢所(かしこどころ 皇祖天照大御神がまつられています。)皇霊殿(こうれいでん 歴代天皇・皇族の御霊がまつられており,崩御・薨去の1年後に合祀されます。)神殿(しんでん 国中の神々がまつられています。)の総称です。』



管理人は、10年間靖国神社の平和ガイドだったが、「掌典職が天皇の代理」として執り行われる春秋例大祭の勅使参向を見続けてきた国民のひとりとして、宮中祭祀という公務についても思いを馳せざるをえないのである。

 管理人が靖国神社遊就館の展示室「日本の武の歴史」と「特別展示室」を説明するに当たって「天皇即位」最大の儀式である「大嘗祭」のことを「折口信夫の大嘗祭」で勉強したが、近代天皇制を語るときに、大嘗祭がどのような意味合いを持つのか、避けて通れない重要事項であったと学ばされた。

 宮内庁のサイトには「大嘗祭」は「天皇陛下がご即位の後,大嘗宮の悠紀殿・主基殿において,初めて新穀を皇祖・天神地祇に供えられ,自らも召し上がり,国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し祈念される大嘗宮の儀(悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀)が,平成2年11月22日・23日,皇居において皇室の行事として行われました。」と紹介されている。

 画像は2006年靖国神社春の例大祭勅使参向である。





拝殿前の錦旗























































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齋館から本殿へ出立する「勅使」である掌典職







本殿における「御幣物の献上と御祭文の奏上」が終了し、齋館に戻る掌典職



勅使参向終了後、賽銭箱を拝殿正面に移動する神職たち




神門から宮内庁へ退出する掌典職が乗った乗用車
神門の階段にはスロープが置かれる
(正月三ヶ日と終戦の日にも置かれている)


2010年1月2日に撮影した齋館正面玄関
二階が天皇のお休所である。



(了)

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