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葵から菊へ
「農学と戦争」共著者小塩海平教授の論考を「世田谷・九条の会」ニュースから転載
2019年09月04日
テーマ:テーマ無し
「農学と戦争」共著者東京農業大学小塩海平教授の論考を「世田谷・九条の会」ニュース?54号から転載します。
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生き残らされた者の使命
小塩 海平
先般『農学と戦争 知られざる満洲報国農場』という本を岩波書店から上梓した。この本は、私自身が卒業し、現在奉職している東京農業大学という大学が、かつて農学という学問をとおして深く関わった満洲報国農場という政策の全貌を明らかにし、多くの学生を死に追いやった史実について、二人の同志とともに掘り起こしを試みたものである。もちろん、 母校である東京農業大学という大学を糾弾しようとしたのではなく、学生時代、キャンパス内にある慰霊碑の存在を知りつつ、ずっと無関心、無責任に素通りしていた自分自身を問い直すための作業であった。
農大の新任教員として卒業生のインタビューを担当することになった私は、満洲報国農場の生き残りの方々のお話を伺い、この事件が、決して遠い過去の出来事ではなく、国家や大学の中に今も脈々と息づいている無責任体制と通底していることに気づかされた。そして、明治以降形作られてきた農学という学問自体に、農民や学生を軽視する構造的な欠陥があったのではないかと考えるようになった。こうして農大の歴代学長を含む、日本の近代農学の確立に貢献した学者たちの言動をひとつひとつ検討し、これまで私自身が疑うことなく受け入れてきた農学という学問の枠組みを問い直すことに着手した。それは、自分自身を一旦解体して、また新たに立て直すような、かなりしんどい作業であった。 この作業をとりあえず形にすることが出来たのは、生還者の方々の一つ一つの証言に突き動かされたからである。例えば、本書には登場しなかったが、農大報国農場からの逃避行を引導した上級生の東海林仲之介さんは、晩年「自分の骨は墓に納めてくれるな」と家族に遺言されている。多くの仲間たちが、満洲で契れたままになっているのに、自分だけが安穏と墓に納まるわけにはいかないというのが、東海林さんの信念であった。
「生きている自分と死ななければならなかった友とを分けたものは何だったのか?」。生還者たちが生涯かけて繰りかえし自問自答してきた、この間いかけは、約20年前の地下鉄日比谷線事故で親しい友人を突然亡くした私自身にとっても共通の問いかけであった。生き残ったのは、現状分析が正確だったとか、予知能力に優れていたとか、体力があったとか、処世術に長けていたなどという、サバイバル能力とは無関係である。彼ではなく、私が死んでもよかったのだし、むしろ本当は私こそ死ぬべき存在だったのかもしれない。しかし、彼ではなく、私が生き残らされたからには、私には、彼の分まで生き、このような悲劇が二度と起こらないように考え、行動する使命が課せられていると受け取るほかない。そのような意味では、私も、満洲報国農場の悲劇の生き残りのひとりである。私自身、時代は違えど、東京農大の農業拓殖科に入学し、1年次の農業実習を経験したひとりなのだから。
このような「生き残らされた」という感覚は、あえて言わせていただけば、戦争のみならず、阪神大震災や東日本大震災を経験したすべての人に共通な感覚だといってもよいであろう。もちろん、生き残らされた私たちも、あと幾ばくか生きた後、やがて亡くなった友と同じようにこの世を去ることになる。だが、生き残らされたしばしの間、あの悲劇を最後にすべく、私たちは最善を尽くさなければならないのではないだろうか。いまだに続いている国家や大学の無責任な立場主義を打破すること、歴史を学んで正しく伝え、憲法を護持することが、生き残らされたものの一人である私の使命であると考えている。
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(了)
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