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平成の虚無僧一路の日記

日航機123便はミサイルで撃墜された!? 

2019年08月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



毎年載せている記事です。再掲させていただきます。
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衝撃の告発。「御巣鷹山に墜落した日航123便は「ミサイルで撃墜された」
でも、誰も騒がない。無視 無視 虫 虫 蒸し蒸し蒸し えぇ〜い蒸し暑い。
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1985年8月12日、羽田を発った大阪伊丹空港行「日本航空123便」は、
当初から不自然な報道が繰り返された。私も終日テレビを見ていて
疑問を感じていた。当初、「相模湾で尾翼が発見された」と、たしかに
報道されていた。海に浮かぶ尾翼の映像を私は見ている。
隔壁の破損ではなく「尾翼」が落ちたのだ。
なぜ尾翼が落ちたのか。「ミサイルで撃ち落とされた」のだという。
当時、相模湾では米軍と海上自衛隊が演習を行っていた。
標的物を飛ばして、それに向けてミサイルを発射するはずだった。
その標的が 運悪く 日航機の垂直尾翼に当たってしまった。
その標的に向かってミサイルが飛んでいく。あわてたのは自衛隊。
ファントムを飛ばして日航機に近接。これは搭乗者の証言にある。
そして、ミサイルは標的物がくっついた尾翼に見事に命中。尾翼を
落下させた。これで日航機は操縦不能となった。日航機は羽田への
帰還を要請したが、なぜか「横田基地」から、横田への着陸を指示
される。
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◆ミサイル撃墜説の根拠は
地元民によって墜落現場はすぐ特定されたにもかかわらず、自衛隊は
別の場所を指定した。そして、報道関係者や救援隊の到着を遅らせた。
その間、夜を徹して、自衛隊のヘリコプターが旋回し、人命救助より先に、
“何か”を探し、持ち去った。“何か” とは、日航機の尾翼に当たった
標的物とミサイルの残骸。夜中にヘリコプターが飛んできて、まもなく
去って行ってしまったことは、生存者の落合さんも証言している。
尾翼に標的が突き刺さっている写真は当初公開されている。
ミサイルの破片とおぼしき物も、いくつも見つかっているが、その後
全部 隠匿されている。
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生存者の落合さんや川上慶子さんの証言から、墜落時、100人くらいの人が
生存していて、呻き声が聞こえていた。しかし、翌日になって、救援隊が
到着した時は、多くの遺体が焼かれていた。飛行機や付近の樹木は
燃えていないのに、遺体だけが骨まで炭化するほど黒焦げになっていた。
おそろしや、夜を徹して、生存者は、証拠隠滅のために焼き殺されたのだ。
さらに、現場で自衛隊員が二人、首つり自殺をしている。その写真も
当初公開されている。「なんで自殺!?」。自殺なんかするわけがない。
ミサイルによる撃墜の事実を知った隊員が、口封じのために、自殺と
みせかけて殺されたのだ。真夏の怪談話
JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは発射された(12)
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/f0917d2fa7bf7b77e6ca6782b5aed3fd
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