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たかが一人、されど一人

いつまでもあると思うな親と金 

2011年07月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

もう親はいないし、金は元々無いに等しい。しかし先日従姉の葬儀から帰った婆さんと話しているうちに、自分達の事に話しが及び、半ば冗談ぽいが互いに死んだ時の事になった。要は、納骨は親が建ててくれた故郷の墓にしても、葬式は豊島区で簡単に済ます。そして故郷の寺から坊さんを呼ぶのは止そうとの事で意見が一致した。後は戒名を安そうな寺を見つけて生前にに貰っておこうとか、思いついた事を若干話し合った。何故そんな話になったかと言えば葬儀屋から「今年の夏は暑さが厳しい上に節電の宣伝が効きはじめているので、冬場と同じくらい高齢者の死亡が多い」と聞いてきたからである。我々だって十分高齢者ではないか。親とか金以前に自分の事を少し真剣に考えなくてはいけないと気が付いた。今日は来月の登山用に列車の切符を買いに行きながら、また考えた。「自分には未だ行きたい山が沢山ある。しかし後幾つ登ったら満足するのだろう?」「自分は未だ中途半端に仕事をしている。いつまで続けるつもりなんだろう?」何れへの答えも「未だそこそこ健康で、そこそこ体力もある。1年や2年はいけるだろう。」そこで思い出したのが本日のタイトルだ。「親と金」を「健康と体力」と置き換えてみる。昨年も同じような気持ちでいたような気がする。と言う事は今年幸いにも何事も無く過ごす事が出来、来年同じ自問をしたら同じ答えが出てきてしまうだろう。果たしてそれで何処まで続くのか?最近周辺で起きる事象を見ていると、人間「ピンピン、ころり」なんて事は真に自分勝手な夢で、生老病死の実際はそんな甘いものではない事を実感させられることが多い。随分辛気臭い話になってしまった。歩いたり水泳をしたり健康維持の努力も結構だが、あれもやりたいこれもやりたいの欲が元にある。何時までも欲ばかり追いかけず、今日から身仕舞ではないが少し別の事を考えようかと思い始めた。これも例によって急な思いつきだが、思いつかなければ何処までも真直ぐ行ってしまう。50歳過ぎた頃から5年毎位のペースでライフスタイルのギアを入れ替えて来た。そう言う意味では少し中途半端な年齢だが、今年はこれ迄とスタイルを変えた事も結構ある。歩く泳ぐだけペースが落ちていない。思い立ったが吉日だ、ペースダウンを考え始めよう。

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