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生きること、死ぬこと(3) 

2019年08月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



死後の世界



五木寛之氏への問い
 ☆私は、死後の世界はあると思っています
 ☆あると思って生きた方が、人間らしく、生きられるように思うから
 ☆死後の世界について、五木さんはどのようにお考えですか

「後生」を信じた方が幸せになれる
 ☆死後の世界のことを、昔の人は「後生」と呼んでいました
 *お年寄りが「後生はお寺さんにお任せ」と言っていた
 *毎日お寺参りをし、後半生を安心して過ごしていた時代がありました
 *いまはそうした死生観は強くありません
 ☆私は、「後生はある」と考えた方が幸せなんじゃないかと思う
 ☆宗教が語るのも、いま生きている現世ではなく、後生のこと
 *「往生」とは、極楽浄土に「往」きて「生」きること
 (死後の世界に行くことを意味する)
 *キリスト教でもイスラム教でも、死者は天国または地獄に行きます
 ☆アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズ
 *宗教はシックマインド(心身とも病気の人)の人のために必要なもの
 *ヘルシーマインド(心身ともに健康の人)には必要ないものだ
 ☆世の中には、宗教や死後の世界の存在によって救われる人がいることも事実
 *この世でつらく苦しい思いをしてきた人
 *あの世で浄土に迎えられると思えれば
 *今を生きることはつらくても、喜んで死んでいける
 ☆質問者の方がおっしゃるように
 *後生という考えはすごく大事なことだなと思う

死の練習



五木寛之氏への問い
 ☆先生にとって、理想の死に方とは
 ☆そんな理想の最期を迎えるため、日々心がけていること

痛みのない死が理想
 ☆理想の死に方は、できるだけ痛みなく死ぬことです
 *昔の中国では、ある年齢に達すると
 *自らアヘン窟に行く老人が数多くいたそうです
 *アヘンをずっと吸う
 *徐々に食欲がなくなり、枯れるように死んでいきます
 *苦痛に満ちた死というより、陶酔感に浸りながら気持ちよく死んでいくらしい
 ☆アヘン窟というと、どちらかと言えばマイナスのイメージです
 *老人が自らの意志で苦痛なく死を迎えるための場所
 *いわゆる尊厳死のための憩いの施設だったとも言えます
 ☆私も、日夜自分が死んだときのことを想像する
 *自分の死と向き合ってきました
 *死の練習、死を想像することを努めて行ってきました
 ☆それによって何が変わったか
 *生への向き合い方です
 *夜寝る前、今日一日とにかく生きることができて幸せだったと
 *感謝する気持ちが自然と湧いてくるようになりました
 ☆明日も生きていられる保証はどこにもない
 *いまを生きたいように生きよう
 *そう強く思うようにもなりました
 ☆まずは「いま」、そして「今日一日」を大事に生きられるようになれば
 ☆最期のときも不安や後悔なく死ぬことができるかもしれません
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『元気に下山』、画像:『元気に下山』記事より画像引用)

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