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平成の虚無僧一路の日記

香川一朝君逝く 

2011年07月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



大橋鯛山君から電話がはいった。「香川一朝さんが亡くなった」
との知らせ。

・7月7日(木)18:00〜 通夜
・7月8日(金)10:30〜 告別式 
・湘和会堂 小田原市栄町1-6-10 0465-22-4111

大橋鯛山君は、私より2年下か。40年以上も前、学生三曲連盟の
演奏会で一、二度会っただけだが、その時、私と話をした内容まで
実によく覚えていて、記憶力抜群の人だ。

その大橋君が、「香川君の死」を知らせてきた。香川君とは
40年前「土曜会合奏団」の演奏会で一度一緒した仲だが、
そのことも大橋君は知っているのだから、驚き。

3、4年前だったか、大橋君と香川君が名古屋に見えて、
それこそ40年ぶりに会い、駅裏で飲んだ。40年前のことが
イッキに甦った。

ネットで「香川一朝」君のことを検索してみた。
今年1月に 復帰コンサートを川崎能楽堂で行っている。
その演奏が You-tubeで見られる。

2002年の時の「神奈川県西湘地域の情報誌」『JOY POST』に
紹介記事があったので転載させていただく。

2002年3月、54才にして29年間勤めた(小田原)市役所を退職。
これまでライフワークのように追求してきた尺八に専念することにした。
尺八との出会いは大学のサークルだった。団塊の世代で学園紛争の
真っただ中。大学へは行かず、尺八の先生(横山勝也師)のお宅に
入りびたっていた。演奏家としてセミプロのような活動をしていた
ものの、25才で、いろいろな状況を考えて、市役所に就職。

それからは、職場に尺八の同好会を作ったり、週末に母校の
大学で後輩を指導したり、極力時間を作って 尺八を続けた。
それが、仕事も中堅ともなってくるとままならず、長いこと
考えて、1年くらいの準備期間を経て、2002年の3月、独立するに
いたった。

大学は違うが、私と同年齢。同じ世代で同じ経歴だ。名前も
私は「一路」で、彼は「一朝」。63歳。人ごとではない。

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