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平成の虚無僧一路の日記

秀吉の出自 2 

2019年07月20日 外部ブログ記事
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服部英雄の『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版)は、 秀吉の出自について書かれた史料を網羅しています。 それには「後奈良天皇の御落胤」説は出てきません。 これによると「秀吉の出生地」は諸説あって「中中村 (現中村中町)」説も怪しいようです。「秀吉誕生地」と される「常泉寺」は「上中村」にあります。 さて、本書によれば、どうやら「秀吉は清洲で生まれ、 母の再婚により中村に移り住むことになったが、養父と 折り合いが悪く、秀吉は家を飛び出し、ストリート・ チルドレン(乞食)になった」と。 当時、信長の城は清洲であって、秀吉の叔父や周辺の 者は、清洲の「乞食村(非人村)」に関係している者が 多いといいます。秀吉の出自は、乞食(薦=こも)で あった。 現名古屋市の中村区は、当時は畑ばかりの土地でした から、秀吉の育ちは「中村」で「農民の子」となります。 秀吉が小田原北条攻めに向かう途中、中村を通った時、 供をしていた小早川隆景に語ったという話に、「自分は この中村で育ち、わやく(無茶・非道)なることをして 遠江に落行し・・・・」と。 「生まれ」ではなく「育った」と語っています。 秀吉は、矢作川の河原(橋?)で薦を被って寝ていた ところを 盗賊の頭だった蜂須賀小六に拾われた話は 有名で、乞食同然の生活だったのは明らかです。 この「小早川隆景」に語った話は「中村の農民には 年貢を免除してやろう」。そしてまた「仁王という わっぱがいて、いじめられた。あの遺恨は忘れられない。 まだ生きていたら、捕らえて斬り殺してやろう」と、 かなり具体的な内容になっており、信頼できます。 服部英雄の『河原ノ者・非人・秀吉』では、戦には 荷駄の輸送、馬、馬具、牛皮製品は必需で、散所民 (無戸籍)、非人、穢多の役割は重要だった。彼等の 協力なくしては戦はできなかった。秀吉の親類、縁者、 仲間にはそのような民が多いと結論づけています。

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