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江戸の”ゴーストバスター”祐天上人 

2019年06月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



怪談「累ヶ淵」の怨霊を鎮めた祐天上人(3)

 ☆徳川家の菩提寺、芝の増上寺の法主の祐天は、浄土宗の高僧
 ☆浄土宗は「南無阿弥陀仏」(念仏)唱え阿弥陀如来の救済にあずる
 ☆極楽浄土への往生を祈る宗派で、加持祈疇を行なう密教僧ではなかった
 ☆祐天上人は、「怨霊退散の呪法」をほどこしていた

祐天は、最恐の怪談「累ヶ淵(かさねがふち)」の怨霊を鎮める
 ☆事件は、『死霊解脱物語聞書』としてまとめられた
 ☆それが歌舞伎となり、落語の怪談話となって広まった
 ☆ダントツに怖くて気味が悪い怪談は「累ヶ淵」です
祐天は、「不動明王の剣」を刺し込まれ霊能力が開花
 *祐天は、旅の途中に盗賊に路銀を奪われ、無一物の状態で成田不動尊に到着
 *祐天は、成田不動尊で3週間の不眠断食の祈願の果てに、死にかけながら幻を見た
 *巨大な不動明王から剣を喉に刺し込まれる
 *死の一歩手前のエクスタシー状態のなかで見た夢、幻覚
 *”霊能”が彼のなかに生まれたのである
 *それ以後、祐天はまるで別人のようになり、増上寺に帰還してあらゆる経文を読破
 *暗唱するという希代の俊英に変身した
 *修行のあげくに諸国行脚の旅に出た
 *祐天は各地で邪霊や魔物を祓つたりしながら、念仏の利益を説いて回った
祐天は、徳川将軍家の帰依を受ける
 ☆累の怨霊に取り憑かれたお菊という少女を助けたのも、行脚の旅の途上のことであった
 ☆祓っても祓っても現われてくる死霊と祐天との対決は、まことに鬼気迫るものがある
 ☆祐天の名声は日増しに高まっていく
 *第5代将軍綱吉、その生母の桂昌院、第6代将軍家宣の帰依を受けるようにまでなった
 ☆浄土宗大本山増上寺の法主として、大僧正ぽ任じられた
 ☆祐天は、受けた布施はすべて廃寺の復興にあてたといわれる
 ☆荒廃が進んでいた鎌倉の大仏を修復した
 ☆他にも奈良の大仏殿をはじめ多くの寺を復興させている
 ☆晩年は、目黒の地に草庵(現在の祐天寺)を結んで隠棲しそこで没した
コラム(真言立川流)
 ☆真言立川流は、異端の宗教として徹底弾圧された
 *理由は、「男女の性交による即身成仏」を説いたから
 *創始者は、仁寛(にんかん)という僧
 ☆彼の教えは、弟子の見蓮らが発展させ、立川流を確立した
 ☆立川流の経典類などは、後世の弾圧でほぼ焼き払われてしまった
 ☆立川流は「髑髏本尊」作製していた
 *「髑髏本尊」男女の精液と経血をドクロに塗り重ねる
 *霊薬を焚いて香りをつけ、銀箔と金箔を三重に圧す
 *美女か童子のように彩色する
 ☆髑髏本尊を供養する
 *本尊は、行者に三世(未来。現在・過去)を教えてくれる
 *あらゆる願い事がかなう
 ☆立川流の敷曼荼羅(しきまんだら)
 *男女が蓮の上で交わつた姿が描かれたりしている
 ☆チベットには、男女の合体仏が伝わる
 ☆性欲を否定して始まった仏教
 *後期密教で性を肯定するにいたつたというのは皮肉な話
 *「立川流は本当に邪教だったのか」ということの検証
 *”性と仏教”は非常に興味深いテーマ
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の仏さま』








江戸の”ゴーストバスター”祐天上人
(『日本の仏さま』記事より画像引用)

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