メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

横井英樹 ニュージャパン 

2019年05月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



名古屋に来て、「横井 英樹」が名古屋市の隣りの中島郡平和町 (現・稲沢市)生まれと知った。「おめかけさんが、○○に住んで いてねぇ」というような話しを耳にした。 「横井英樹」は 1913年(大正2) - 1998年(平成10)。 貧しい農家の二男として生まれ、高等小学校卒業後、15歳で 上京。日本橋の繊維問屋に丁稚奉公し、2年弱で独立し、 「横井商店」を設立する。まだ10代でだ。 第二次世界大戦終結後、GHQ出入り商人となり、進駐軍への 衣料品の販売や横田基地、立川基地の家族住宅の設営で 一ヤマ築いた。 1953年(昭和28年)の「白木屋百貨店」乗っ取り事件や、 「東洋郵船」設立による海運業への進出で脚光を浴びた。 「白木屋」の乗っ取りは、新田組・住吉一家・安藤組・ 銀座警察・殉国青年隊らヤクザ者を駆り集めて揺さぶりを かけたが実らず、東急の「五島慶太」が「白木屋」の株を 買い取ることで決着。「白木屋」は「東急日本橋店」となる。 その後、箱根「強羅ホテル」、老舗の「富士屋ホテル」の 買収にからむ。このへんの話は、私は小学生だったが、 よく母親から聞かされて知っていた。 「ホテルニュージャパン」も買収したが、1982年(昭和57) 火災が発生、全焼した。スプリンクラー等の消火設備を 整備せず、禁固3年の刑が1993年(平成5)最高裁で確定。 1994年(平成6)から東京・八王子の医療刑務所で服役。 1996年(平成8)に仮釈放となり、1998年(平成10)85歳で 死去。最後は自宅まで手放し、資産のすべてを失っていた。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ