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平成の虚無僧一路の日記

水戸黄門 

2019年05月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今朝の「朝起会」でのご本読みで「水戸黄門様も 子供の頃は不良少年だった」という話に、目が 覚めた。「天下の副将軍、水戸のご老公、黄門様」 こと水戸光圀は、正室の子ではなく、子供の頃は 自由奔放、粗野で行儀も悪く、異様な着物をまとい、 筝や三味線を弾いたり、遊郭通いもしていたとか。 それが「庶民の心が解る名君」になる肥やしだった のかとも思う。時の将軍綱吉の「生類憐みの令」に 歯向かって、邸内に入り込んだ暴れ犬を殺させた とも。 テレビの『水戸黄門』の初代は、東野栄次郎だった。 それまで彼は悪役専門の役者だったとか。私には、 「水戸黄門」といえば、東野栄次郎の印象が今でも 強く残っている。 外国では、「印籠」をふりかざして「これが目に入ら ぬか」の一言で悪人共が平服するシーンは理解でき ないそうだ。お上のご威光をふりかざす『権威主義』 だというのだ。 ところがどっこい、水戸黄門は徳川御三家でありながら、 将軍に楯突く存在だった。水戸光圀の『大日本史』編纂 事業が、尊皇攘夷思想を広め、それが徳川幕府崩壊を 導くこととなった。政権を放り出し、幕府を潰した最期 の将軍慶喜は水戸斉昭の子だ。 介さん角さんを従えての「水戸黄門漫遊記」が人気と なったのは、明治になってからとのこと。“幕藩体制の 非を説いた正義の人”として喧伝する明治政府の思惑も あったと知る。???

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