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熊野はなぜ日本の聖地になったのか? 

2019年05月25日 外部ブログ記事
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世界遺産・熊野古道を歩いて「熊野詣で」の魅力

 ☆落差日本一・那智の滝
 ☆神の存在を感じさせる険しい紀伊山地の自然
 ☆熊野那智大社に残る「神仏習合」の痕跡
 ☆山伏が熊野発展の陰のプロデューサー
 ☆熊野古道は、熊野三山へと通じる参詣道の総称
 *熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)
 ☆熊野古道は、紀伊半島に位置し、道は三重、奈良、和歌山県、大阪府に跨る
 ☆2004年に世界文化遺産に登録

熊野古道の遺構の特徴
 ☆那智山の大門坂など、舗装に用いられた石畳が残っている
 ☆熊野古道に石畳が用いられたのは
 *紀伊半島が日本でも有数の降雨量の多い地域だから
 ☆江戸時代に紀州藩により整備された一里塚が残っている個所もある
 ☆熊野古道の中には
 *国道や市街地のルートと重複していて吸収されてしまったものもある
 *紀伊半島の地理が関係している
 *紀伊半島の中央部は、どこまでも続く山々と谷に覆われている
 *古来より交通開発が困難であり、交通路に適する場所は限られている
 ☆結果として、現代の主要な交通路は古人の拓いた道に並行し重複している
熊野古道の歴史
 ☆熊野古道は、中世期に日本最大の霊場として隆盛した熊野信仰に利用された
 *1000年以上も使われ続けてきた
 ☆近世に、日本最大の霊場としての地位を伊勢神宮にとって代わられた
 ☆熊野三山は、天皇から貴族、庶民に至るまであらゆる階層の人々の信仰を集めた
 ☆皇室で参拝したのは、平安時代中期の宇多法皇の熊野御幸が最初
 *院政期の上皇方が熊野詣でを繰り返すようになった
 ☆源頼朝の妻・北条政子も熊野参詣を2回行っている
 ☆室町時代、貴族のほかに武士や庶民の間でも熊野詣が盛んにななる
 *「蟻の熊野詣」とまでいわれるほどの参拝者の大群であった
 ☆1906年末に布告された「神社合祀令」
 *熊野古道周辺の神社の数は激減
 *熊野詣の風習も殆どなくなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHK『ブラタモリ』『WIKIPEDIA』














世界遺産・熊野古道を歩いて「熊野詣で」の魅力
(『ブラタモリ』テレビ画面、他より画像引用)

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