メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

仏教の功罪 

2011年06月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞連載の五木寛之『親鸞』。

多くの迷える民、救いを求める人々に、念仏は、
どうやって応えることができるのか。人を救うとは
どういうことなのか。仏教の核心に迫ってきた。

仏教は「因果応報」を説く。不治の病、障害に苦しむ人に、
仏教者は「前世の報いだ」と にべもなく切り捨ててきた。

私の子供の頃は、見世物小屋というのがあった。
「親の因果が子に移りぃ〜」と、障害者が見世物に
さらされていた。「人権問題だ!」と非難する人に、
その親たちは言う。「この子は、こうでもしなければ、
食べていけないのです」と。

いまわしい時代だった。私の小学校の先生は、「見世物
小屋」を例に「仏教がいかに、人々を苦しめてきたか」を
説き、戦後の合理主義、科学万能教育の中で、宗教は、
否定されるべきものだった。

それでも、宗教は無くならない。新興宗教をいかがわ
しいとする声もある一方、盲目的に入信する人も多い。
いかがわしい宗教でも信ずる人にとっては救いの神なのだ。

「この世で 罪を犯しても、来世で救われればいい」と
いう「極楽浄土思想」は、信ずる者と信じない者
相半ばする。どちらが正しいか。五木「親鸞」の
答えを早く知りたい。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ