メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「無心」とは 

2011年06月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ラジオで「今この瞬間を生きている人は少ない」と
いうようなことを話していた。

「ご飯を食べている時も、ボーとしているときも、人は
絶えず、過去のことを思い返し、また明日のことを
いろいろ考えている。よそごとを考えていて、その瞬間に
気を集中させることは少ない」というのだ。

そこで 思いだした。「茶道の祖・村田珠光」だ。
「村田珠光」は一休によって「無の心」を体得した。

村田珠光が一休に茶をふるまったご時のこと。珠光は
あれこれ「茶」の来歴、効用などを講釈する。そして
いざ茶を喫する時、一休が珠光の手をはたいた。

茶碗を落とし、驚いた珠光に一休は言う。「おまえさん、
今何を考えていなすった?」と。「はて?」。

そこで珠光は、何も考えず、“無心”で茶を喫しようと
していた自分に気づく。“無心”といっても“心が空(から)”
ではない。今この瞬間、茶を喫することだけに、心を
集中する。よそごとは考えていない。

「それそれ、無心とはそういうことじゃ」と。

尺八道もそうだ。「無心で吹く」。一休は、能や茶道、
尺八など、今日「日本文化」とされるものに、すべからく
「禅」の悟りの心を入れたのだ。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ