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テリー伊藤という男 

2019年04月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


元記事 タレントのテリー伊藤さんが2019年4月11日放送の「ビビット」(TBS系)で「食品ロス」問題を扱うなか発した言葉が、インターネット上で議論の火種となった。 中略 「自分もやってたんですが『スーパーで(陳列棚の)奥から商品を取る』のは、ちょっと得した感じがしますけど、あれをみんながやると賞味期限がどんどん迫ってきて(廃棄を)増やしてしまうんですよね。自分たちにできる小さいことといえば、『まず手前から取ろうよ』ということですよね」これでテリーさんにスイッチが入った。真矢さんに対して述べたのは、  「でもさ、奥から取ることが悪いのかな?」という疑問。真矢さんは「だってほら結局、賞味期限が迫っているものから...(廃棄されていく)」と言おうとしたが、テリーさんは  「そこにあるんだから、新鮮な物を取るというのは、たとえば自分の子どもに食べさせたいと思うのは僕は普通だと思う」と割って入った。2人の意見は平行線をたどった。  真矢「でも奥から取るというのは、賞味期限の長いものを取るということですよ」  テリー「でもそれは、買うほうとしては...」  真矢「テリーさん、それ全員でやったらですよ? どんどんどんどん(賞味期限の)浅いものが残って...」  テリー「それを消費者に悪いっていうのは何か...」 ここでフリーアナウンサーの堀尾正明さんが「スーパーもそういう(賞味期限の近いものを手前にするという)順番の並べ方をしなければいいということですよね」、さらに司会のTOKIO・国分太一さんも「意識していい人になってみようという気持ちも大事かもしれない」とまとめようとした。真矢さんは「私はそうしたけどな...」と下を向いたものの、とりあえず一旦落ち着いたかに見えた。 だが直後、テリーさんは  「自分に子どもができたら、子どもには新鮮なものを食べさせたいっていうのは...」と同じ主張を繰り返した。真矢さんは「手前も新鮮ですよ」とつぶやく。ここで堀尾さんが「日本は『賞味期限信仰』が厚すぎる気がしますね」と述べたところでようやく収束した。「正直情けない」「新鮮な方がいいだろ」 「手前からか奥からか」というこの議論はツイッターやネット掲示板上でも話題を呼んだ。食品ロス問題を扱う番組で、「奥から取る」ことを譲らなかったテリーさんには、  「テリー伊藤みたいなのが多いから食品ロスが無くならないんだな」  「食品ロスの話題の際にテリー伊藤が『商品を奥から取るのは何が悪い?』と言ってた。コンビニで働く私にとってはその言葉が信じられなかった。そういう考えの人が多いから、手前の商品が売れ残って廃棄になるのであって、正直情けないなぁと思った」  「フードロスを無くす策として、陳列された食品は手前から取る事が呼びかけられてるんだけど、テリー伊藤さんは知らないの?」といった手厳しい声が相次いだ。だが一方で、  「テリーの言ってることが珍しく正しい」  「新鮮な方がいいだろ」  「消費者に押し付けるやり方は絶対に流行らない」とテリーさんの考えに近いユーザーも一定数見られた。 --------------------面白い議論ですよね勿論真矢さんは社会人としての正論を言いテリー伊藤はあまのじゃく根性を出し敢えていったのだろうが 誰だって新鮮な物を欲しいだろうからテリー伊藤のいうことは理にはかなっている同じ値段でより新鮮な物を願うのは当たり前だしそれを買う側に道徳として強制するのは間違っている 店側が、同じ期限の商品だけを陳列し無くなったら、同じ賞味期限グループの商品を陳列するのが筋といえば筋だ そんなこといちいちしてたら店側はたまったものじゃないし商品の種類考えたら事実上不可能だそれを良心という道徳でお客様にお願いしているのが現状なのだが、それができないというのならば人を雇いその人件費を商品に上乗せすればいい 結局消費者につけがまわってくる テリー伊藤のこの発言は彼が言っている日頃のポリシーとは相いれない発言だつまり、番組を盛り上げようとしての企み発言だおそらく彼にとっては食品が捨てられることなど、どうでもいい問題なのだろう 彼にとっては自分の目に見える現状だけが彼にとっての戦場であり、現実なのだろう 遠い異国の地がどうなろうとおそらく彼は何の痛痒も感じないだろう感じているフリはするだろうが たんに茶々を入れただけなんだろうがここで彼の精神の貧しさが露呈した彼が日頃唱える、弱者救済が実は、方便的思惟による口先だけのものだということ 私はテリー伊藤がすきだ職業人に徹しているポリシーがあるとしたら、番組の視聴率を上げることそれなんだろうそのために、彼の道徳指標は左にも、右にも振れる 彼の意見を列記し検証してみるとよくわかる信念がないのだあるのはテレビ人としてのその場での空気を察知した「ちゃちゃいれ」技術そう、技術しかない ある意味テレビ人として、彼は匠と称していい だから鑑賞用としては好きだが人間としては友達にはなりたくない 最低でありながら、最高の匠それが私が思うテリー伊藤だ この言葉私は褒め言葉として使っているのだが果たして通じるだろうか  にほんブログ村

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