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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧 芭蕉とは? 

2019年04月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



芭蕉といえば「松尾芭蕉」。あの芭蕉が「虚無僧」だった?。いや、別人らしい。仙台に「芭蕉の辻」という地名がある。松尾芭蕉も『奥の細道』を旅し、仙台に赴いている。芭蕉は幕府の隠密で、伊達藩の動向を探るために仙台に行ったという説もある。ところがところが、仙台の「芭蕉の辻」は、松尾芭蕉が仙台に行く前からあった。なんと「芭蕉という名の虚無僧がいて、伊達政宗のためにスパイ活動をしていて、その功によって、この四辻の地を与えられ、その地を「芭蕉辻」と呼ばれたとのこと。幕府隠密「松尾芭蕉」が通った所が、伊達家お抱えの隠密虚無僧「芭蕉」が住んでいた場所とは、松尾芭蕉もどう思ったことか。虚無僧の「芭蕉」については『虚無僧の謎』(岡田富士雄)に載っていた。通称は「六左衛門」。「閑斎」と号した。もとは長州の人で虎渓の推挙で 伊達忠宗に召し仕えた。名取市増田に「不退軒」を建て住す。「不退軒」はその後「布袋軒」となる。「伊達忠宗」は正宗の子で、1639〜2代藩主。芭蕉が仙台に着いたのは 1689年。丁度 半世紀後。「虚無僧が藩のお抱え隠密だった」とする話は、『虚無僧の謎』に数件載っているが、越後村上藩の明暗寺看主「文仲」が、大坂夏の陣で家康の危機を救ったなどというのは、すべて虚言。後世の作話なのだ。「芭蕉の辻」も「芭蕉の木が植えられていたから」という説もある。そちらが正しいか。ざんねん

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