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のびたの日記

大学の 構内歩けば 近代史  思いがけず学習院大学構内を見学した 

2019年04月02日 外部ブログ記事
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ウォーキング最後に目白駅に着いた 神田川の桜や 切手博物館にも巡り合い心は満ち足りていた
あれっ 学習院大学 目の前に重々しい校門が有り 警備員が二人も立っていた
人の出入りも少なく もしかしたら見学が可能かと尋ねた さくら見学で期間限定で入れますよと言う
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これはラッキー 最近では皇居付近を歩いていて 偶然に皇居内を案内人付きで散策も出来た
昨日は国民が注視する中 新元号が『令和』と決定した 来月には天皇陛下も皇太子に代が変わる
この学習院大学も皇室ゆかり 今上天皇も皇太子も 数ある皇族関係の子女もここで学んだものである

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特にここを目指したわけではないので 帰ってから大学の沿革などを改めてネットで学んだ
幕末から数々の苦難の歴史もあり それは近代史とともにある
学習院の起源は幕末の京都に設けられた公家の教育機関にあった
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当時の光格天皇は朝廷の権威復活を強く意識して 平安時代に置かれた大学寮以来の教育機関を構想した
1847年 京都御所東側に学問所の設置が実現した
一時 尊王攘夷派の公家と志士たちの集会所と化したが公武合体派のクーデターで大政奉還まで講義は行われた
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天皇が東京に移ったのが明治2年 大名や公家は華族と称される
その華族の団体によって 神田錦町に開設 学習院の勅額が明治天皇から下賜された
明治18年には 日本で初めてランドセルが学習院で採用されたが 軍隊の背嚢をモデルにしたと言う
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草創期には いだてん にも出てくる講道館の嘉納治五郎も在職していた
神田校舎は明治19年火災で焼失 四谷に開校したが明治27年の地震で倒壊 現在の目白に校舎の建設
明治40年 陸軍大将乃木希典が第10代学習院校長に就任する
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昭和19年 20年と相次いだ東京大空襲では ここも全焼して焼け野原からの再出発だった
戦後はGHQによって華族制度は廃止 あわせて存続も危ぶまれ私立校として生き抜く
資金難でもあり 皇室からの下賜も必要だが認めて貰えず GHQと何度も交渉して一部認められた
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私立校になったのが昭和22年4月 前文部大臣の安倍能成が就任する
財政難で自ら募金活動に立ったり バザーをする 学内の樹木を伐採して薪や炭を作り 教職員のボーナスにした
永い歴史はまさに日本の近代史の中にあり その歴史が構内に満ち満ちていることを学んだものである
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