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平成の虚無僧一路の日記

「ありのまま」と「あるべきよう」 

2011年06月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「ありのままで いいんだよ」とは 気休めの言葉か?。

「ニートやオタク、ひきこもり」、ひいては、
「ふしだら」や「ちゃらんぽん」「でたらめ」な
人間でも「いい」というのか。そうカンタンには
使えない“声かけ”だ。

たしかに「蟻は“蟻のまま”、蜂にはなれない」。
だが、蟻さんだって、環境に応じて、20種類以上に
分化、進化しているのだ。蜂とも「同種目」らしい。


「西区仏教会」が 檀家に配っている標語チラシに
「あるべきよう」とあった。これは『明恵上人の遺訓』
だそうだ。

『人は「あるべきようは」の七文字を持つべきなり。
僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。
帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきよう
なり。この「あるべきようは」に背(そむ)くゆえに、
一切悪しきなり』と。

ということは「父親は父親らしく、母親は母親らしく、
子は子らしく、教師は教師らしく、政治家は政治家らしく、
それぞれの本分は何かを、時により、事により、見つめ
なおし、生きよ」と いうのでは ないだろうか。

明恵は 一宗一派を興したわけではないのに、多くの
人たちから慕われた。それは 一休や良寛と共通する。
「現世において あるべきように 生きればよい」は
正しく生きる『自力本願』に 他ならない。

「現世では、何をしても(泥棒しても、人を殺しても)
かまわない。死後に、成仏往生して、救われればいい」
と 誤解を招きかねない『他力本願』の法然や親鸞とは
相対する教えだったのだと知る。

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