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大正から昭和へ(5)(満州事変・五・一五、二・二六事件) 

2019年01月19日 外部ブログ記事
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大正から昭和へ(5)

満洲事変(満洲を実効支配していた張作霧が列車ごと爆殺されるという事件)
 ☆馬賊だった張は権謀術数に長けた人物
 *日露戦争後に日本陸軍の関東軍と手を結び、軍閥を組織して満洲を実効支配
 *徴収した金をすべて自分のものとしていた
 *当初、張と関東軍の関係は良好だったが、関東軍と利害が対立するようになる
 ☆帳は、欧米の資本を入れて、満鉄と並行する鉄道を敷設し、両者の衝突は避けられなくなった
 *日本軍による満洲経営の中核となっていた会社
 *関東軍としても見過ごすわけにはいかなかった
 ☆張作霧爆殺事件はそんな状況下で起こった
 *事件の首謀者は関東軍参謀といわれているが、決定的な証拠は今もってない
 ☆日本は満鉄をはじめとする投資により、満洲のインフラを整え、産業を興して満州繁栄した
 ☆清では戦乱が相次ぎ、日本は満洲の治安を守るために関東軍を置いた
 *清から大量の難民が、満州に押し寄せる
 ☆中国国民党政権と中国共産党による反日宣伝工作が進められる
 *排日運動や日本人への脅迫やいじめが日常的に行なわれるようになった
 *日本人に対する暴力事件も多数発生した
南京事件(中華民国の軍人と民衆の一部が外国領事館と居留民の襲撃事件)
 ☆蒋介石率いる中国国民党が南京を占領した
 ☆暴徒は外国人に対して、暴行。略奪。破壊などを行ない
 *日本人、イギリス人、アメリヵ人、イタリア人、デンマーク人、フランス人が殺害された
 ☆暴挙に対して、列強は怒り、イギリスとアメリカの艦艇はただちに南京を砲撃
 ☆日本は、報復措置を取らないばかりか、逆に列強を説得している
 *中華民国への協調路線を取る幣原喜重郎外務大臣
 *日本海軍が南京市内を砲撃しなかった
 *中国民衆は、「日本の軍艦は弾丸がない。張り子の虎だ」と嘲笑した
 ☆中国国民党がこの事件と日本の無抵抗主義を大きく宣伝した
 *中国人は日本を見下すようになったと
 *この事件以降、中国全域で、日本人に対するテロ事件や殺人事件が急増する
 *満洲でも、中国共産党が、日本人居留民や入植者を標的にしたテロ事件を起こすようになる
 ☆日本政府は、中国人と仲良くするのが何よりも大事との外交方針を取っていた
 *日本警官増強は日支対立を深めという理由で、”応援警察官”引き揚げを決定する
 ☆入植者たちは、満洲の治安維持をしている関東軍を頼り、被害を訴えるようになる
 ☆中国人による嫌がらせの一番の標的になっていたのが朝鮮人入植者
 *韓国併合により当時は「日本人」だった朝鮮人
 *中国人を見下す横柄な態度を取っていた
 *中国人にしてみれば、長い間、自分たちの属国の民のような存在と思っていた朝鮮人
 *自分たちよりもいい暮らしをしているのが我慢ならなかった
 ☆日本政府の無為無策では南満洲鉄道や入植者を守れないと判断した関東軍
 *南満洲鉄道の線路を爆破し中国軍の仕業であるとした
 *満洲の治安を守るという名目で軍事行動を起こした
 *政府は不拡大方針を取ったが、関東軍は満洲をほぼ制圧し、張学良を追放した
 ☆「事変」とは、大規模な騒乱状態
 *宣戦布告がなされていない国家間の軍事的衝突を意味する
 *蒋介石はますます排日方針を強化
 *日本は中国大陸での泥沼の戦いに突入していく
満洲は中華民国のものか
 ☆満洲事変の翌年満洲は中華民国から分離され、「満洲国」が建国された
 *国家元首には清朝最後の皇帝、愛新覚羅博儀が就任
 ☆アメリカやイギリスは、ワシントン会議の「九ヵ国条約」違反だとし日本に抗議した
 *「九ヵ国条約」では「満洲」が中国に含まれるかどうかについては曖昧なまま放置されていた
 ☆満洲は古来、漢民族が実効支配したことは一度もない
 *漢民族は、万里の長城よりも北は、蛮族が住む「化外の地」と見倣していたのだ
 *満洲は女真族などの騎馬民族が支配する地
 *ここから出た女真族が漢民族の地を征服支配北京を都としてできたのが清帝国
 ☆清はその後、トルコ系民族(ウイグル人など)が住む西域や吐蕃(チベット)を版図に加えた
 *名目上のことで、チベットを満洲人が直接支配したわけではない
 ☆南京に臨時政府を建てた孫文が、「中華民国は、清朝の領土を引き継ぐ」と宣言した
 *孫文の一方的な宣言で、女真族の土地であった満洲全土が、中華民国の実効支配下に置かれてはない
 *中華民国の体制は非常に弱く、その支配は限定的
 *満洲に限らず、広い版図の大半の地域に地方軍閥の割拠を許していた
 ☆列強は九ヵ国条約を盾に日本を非難
 *国際連盟は事件の背景を調べるためにリットン調査団を派遣した
 *調査団は日本による満洲国建国は認めず
 *国際連盟総会は、満洲の占領地からの日本軍撤退と、満洲の国際管理を勧告した
 ☆日本はこの勧告を拒否し、国際連盟を脱退した
 ☆この時点で、日本は後戻りできない道へ進んだともいえる
五・一五事件
 ☆昭和恐慌による経済的苦境の中
 *ロンドン海軍軍縮条約に不満を持った海軍の急進派青年将校を中心とするクーデター
 ☆首相官邸、内大臣官邸、立憲政友会本部、日本銀行、警視庁などを襲撃
 *大養毅首相を射殺した事件
 *統帥権千犯問題で政府を攻撃した人物が、軍人に暗殺される
 ☆軍人が共謀して首相を殺害するなど許しがたい暴挙
 *驚くのは、当時の新聞が犯人らの減刑を訴えた
 *報道に煽られた国民の間で助命嘆願運動が巻き起こる
 *将校らへの量刑は異常に軽いものとなった
二・二六事件を
 ☆陸軍の一部の青年将校たちが首相官邸や警視庁などを襲撃する事件が起きた
 ☆高橋是清大蔵大臣や斎藤実内大臣を殺害し(岡田啓介首相は難を逃れた)、国会周辺を占拠した
 *高橋は陸軍の予算を削ったことで、青年将校の恨みを買っていた
 ☆彼らは「天皇親政」という名の軍官僚による独裁政治を目指していた
 *立憲君主制を謳った大日本帝国憲法を否定するもの 3
 *蹶起した青年将校たち、心情を理解してもらいたいと昭和天皇に上奏した
 *大日本帝国憲法を否定するテロ行為に反発した昭和天皇
 *怒りをあらわにして一蹴し、軍首脳部に「速やかに鎮圧せよ」と命じた
 ☆陸軍首脳部が部下を討つことに躊躇したの
 *天皇は自らが近衛兵を率いて鎮圧すると示唆した
 *これによりようやく鎮圧部隊が動き、反乱軍は鎮圧された
 ☆この事件は、日本の全体主義的傾向に決定的な影響を与えた
 *「統制派」と呼ばれる反米、反資本主義傾向が強いグループが、軍の主導権を握る
 *日本共産党の幹部・野坂参三の義兄らが、軍が政治を動かす体制を作り上げた
 ☆軍を批判するとテロの標的にされるという恐怖
 *政治家は軍を批判できなくなってしまった
 ☆「統制派」が統制経済、言論の自由弾圧といった全体主義的な政策を推進していく事態となる
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出典、『日本国紀』








満州事変・五・一五、二・二六事件(ネットより画像引用)

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