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大正から昭和ヘ(2)(日本、アメリカと満州問題で激突) 

2019年01月17日 外部ブログ記事
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大正から昭和ヘ(2)

 ☆歴史に若しもはないが、若し日本がアメリカに満洲の権益を分け与えていたなら
 *アメリカの対日政策は変わっていた
 *中華民国の抗日運動をアメリカが支援することもなかった
 ☆大東亜戦争を回避できたかもしれない

アメリカの敵意
 ☆日露戦争の勝利によって、列強を含む世界の日本を見る目は変わった
 *ヨーロッパ諸国は、日本に一種の敬意を持った
 ☆「国際連盟」で、日本は常任理事国の4ヵ国(イギリス、フランス、イタリア、日本)に名を連ねた
 *現実の世界は、日本を称賛する国ばかりではなかった
 ☆日本がロシアに勝利して以降、満洲への進出を狙っていた
 ☆日本とアメリカが、満洲の権益で衝突する
 *満鉄を日米で共同経営する覚書に日本は同意した
 *ポーツマスから戻った小村寿太郎がこれに反対し覚書は破棄された
 *ルーズベルト大統領もポーツマス会議以後、親日家ではなくなった
 ☆アメリカの中で、日本排除派と日本重視派に分かれる
 ☆日本は、太平洋を挟んでアメリカと対峙する強国となる
 *アメリカの中で、安全保障の観点から対日警戒論が強まっていく
 *日本からの移民を全面的に受け入れ禁止とする
 *根強い人種偏見を背景にしたアメリカ国内での移民排斥運動はより激化する
 *日本国内でも反米感情が沸き起こった
 ☆日本とアメリカの溝は埋まらず、大東亜戦争という悲劇につながっていく
21カ条要求に見る日本外交の稚拙さ
 ☆日本は、哀世凱の中華民国政府に対して「21カ条要求」を出す
 *当時の国際情勢において、ごく普通の要求だった
 *「要求」の経緯は外部には漏らさないという密約条約だった
 *衰世凱はそれを破って公にし、国内外に日本の横暴さを訴えた
 ☆中華民国内で反日感情が沸き起こった
 *欧米列強は条約の裏事情を知りながら、日本を糾弾した
 ☆日本はまんまと蓑世凱の策略に引っかかったのである
 ☆21カ条要求は、日本の非道さの表われとする歴史教科書があるが誤りである
 ☆当時の日本の外交のお粗末さには呆れるしかない
 *外交とは一種で騙しあいであることを、単純な日本人には理解できなかった
ワシントン会議
 ☆ワシントン会議の議題1(列強5ヵ国の戦艦のトン数制限と保有比率決定)
 *膨れ上がる軍事費を抑えたい日本政府は賛成だった
 *海軍の中には「これでは日本を守れない」という意見も多かった
 ☆ワシントン会議の議題2(中華民国における列強の権益)
 *列強も現状以上の中国への侵略は控え、ビジネス的な進出に切り替える
 *中国大陸進出に出遅れたアメリカの意向が色濃く反映されていた
 ☆ワシントン会議は、日本の将来に大きく関係する重大事があった
 *20年間も続いてきた「日英同盟」の破棄
 *同盟の破棄を強引に主導したのはアメリカ
 ☆アメリカは、中国大陸の市場に乗り込もうと考えていた
 *日本とイギリスの分断を目論んだのだ
 *日本は後にアメリカと戦う時には単独で対峙しなければならなくなった
 ☆これこそアメリカが望んでいたこと
大正デモクラシー
 ☆大正の日本は民主制が発展した時代
 ☆政党内閣を作った原敬は爵位を持たない最初の総理大臣になった
 *平民宰相と呼ばれたが、原はかつて賊軍元南部藩家老の息子
 ☆大正時代には、市民運動も盛んになり、全国で労働組合も組織された
 ☆女性の地位向上のための婦人運動も活発になる
 ☆自由な空気と民主制への流れは「大正デモクラシー」と呼ばれた
 ☆第一次世界大戦後は国民の生活も大きく変わった
 *街には活動写真(映画)を上映する劇場が多く作られ、ラジオ放送も始まった
 *食生活でも、カレーライス等とんカツなどが、庶民生活の中に溶け込んでいった
 *女性の社会進出も増えた
 *東京六大学野球や宝塚歌劇団が生まれた
 *子供向けの娯楽も誕生した
 ☆大正時代に国民が娯楽や愉しみを享受できるようになった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』






大正から昭和ヘ(2)(日本、アメリカと中国問題で衝突)
(ネットより画像引用)

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