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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

昨日のこと 

2011年06月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


いつものように空き家に行ったら「ごみ収集」がまだ来てなかったから、前日掘り起こして乾燥するように広げて置いた「スギナの根」をゴミ袋に詰めていたら、いつも一年分のお米を買っている「同級生」がやって来た 


どこか行くところがあったらしいが「まだちょっと早いなぁ・・」と言うところに、私の車があったからきたみたい 


昨年まで義母宅からじゃがいもやたまねぎなど頂いていたが、今回の津波で畑は「砂地」に塩害だし、農作業をする機械類など皆無(勿論自宅は流失)だし・・今後も分からない 


「塩害の再生は・・・?」って聞いたら「わがんねぇ・・」だった 


そんなことから「じゃがいもや玉ねぎ植えたの・・?」って聞いたら、名取川の河川敷にある畑は「津波被害」にあったが「自宅前」は大丈夫で植えたらしかった 


しかし「玉ねぎはまらこんなだ・・」って、指で〇を作り「出来たらよこすから・・」って 


そこで義母宅の話になったが「お墓のお骨もねぇんだどや(ない)」と聞き、夕方義母宅まで車で行けたから玄関先まで行ってみたが、子供たちが言っていたように「玄関のタイルで確認」だった 


まだ一部「瓦礫」をよせてあったところもあったが、殆ど住宅周りはきれいに片付けられていたが、土台は半分しかなかった 


義母宅の東には「貞山堀」と言う運河があり、遊歩道があったが台風などの水害予防に、遊歩道に外側に堤防の建設が始まっていた。




今回の津波できっと平らになったのだろうが、また工事が始まったのか堤防には上げれないから、海は見えなかったが・・あの松林が・・・

     
      




義母宅の玄関に立ち涙が止まらなかった 


上の大きな松の木の前には、立派な「五柱神社」があったが、勿論跡形も無い〜!

     
      



昨年5月に写した画像だけれど、この松の木に絡まって藤の花が毎年咲くが、義母宅から見えた 

   
   



しかし今年は塩害で松も一応あったが、赤くなりかけていた(他の松ですが・・)

   
   



そこからお墓に向かったが1m位の堀は、水はけを良くするためか3mほどに掘られていて、ここを渡って・・!

             



「昭和49年 〇〇〇 建立」と義母の名前が書かれた墓石は見つけたが(お墓も分かった)、やはり津波にさらわれたのか「お骨」はないお墓が多かった 


義母宅のお墓は中に何か入っていたから、良く分からなかったが・・!


遺影も位牌もお骨までも、あの津波に持っていかれたと思うと、何ともやるせなく今更ながら夢であって欲しいと・・(お墓から義母宅方向・・真ん中に「五柱神社」の松の木がみえる)

            


住宅の周りは「瓦礫」が片付けられていたが、田んぼは依然そのままの状態である 

   
   








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