メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

霊山護国寺に「虚無僧素行」の墓 

2018年12月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ネットでいろいろ検索していて、見つけました。京都の「霊山護国神社」に「明暗寺徒素行の墓」があるそうです。解説文を転載させていただきます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「太田六右衛門」の墓の近くにある「明暗寺徒素行墓」は、「本多素行」のものである。「本多素行(小太郎)」は、文政三年(1820)、膳所(ぜぜ)藩の出身。天下を周遊するため自ら科(とが)を犯して永の暇を賜り、京都の「明暗寺」に入って虚無僧となった。以後、但馬国養父郡「明暗寺の出張所」に起居し、四方の志士と交わった。文久三年(1863)の生野挙兵では、大和挙兵の破陣を受け、自重を澤宜嘉に説いたが容れられず。僧形に扮して遁れたが、福崎で姫路藩兵に捕らわれ、京都六角獄舎で斬られた。年四十五。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうなのだ。「虚無僧は幕府の隠密だった」などと、まことしやかに語られ、信じられているが、幕末は“勤皇の志士”の隠れ家でもあったのだ。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ