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尺八と横笛吹きの独り言

北方領土問題が、ここにきて……急に浮上してきました。 

2018年11月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 ●はじめに
なにやら北方問題が、ここにきてクローズアップされてきた。プーチン氏が急に今年9月、前提条件なしの平和条約締結を安部首相に唐突に持ち出したのがはじまりだ。北方領土の問題は過去の様々な長い経過があってむずかしい。
 以下は東京新聞11月16日の朝刊を転載したものだ。確認したことや、YouTubeでの北方問題の動画などを載せてみた。すべてはまだまだ理解不足であるが少しは近づいた気がする。
 これからどうなるのだろう?そうは簡単にプーチン氏が北方4島は返還はしない。どうも歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島の二島はプーチン氏は返還を考えている形勢であるが、主権は日本でなくロシアであると主張しそうだ。
1956年の日ソ共同宣言には「二島の返還」と書いてあるが、「この島の主権には触れていない」という「こじつけ論」を出してきた。ずるがしこい気がする。1945年8月、ソ連軍が勝手に日ソ不可侵条約を破って北方領土に上陸しそこに住む日本人を勝手に追い出してしまったのでした。
 政府は「4島返還を基本路線として変えない方針」でいるが、もう四島返還は無理だろう。二島返還に政府は舵を切らざるを得ないなあ。
それも4島の主権はロシアに帰属しておいて、二島返還プラスアルファとして日本からの経済支援や4島の自由渡航をロシアは「もくろん」でいるようだ。
ここで4島返還を強く日本が主張すれば、二島の返還もゼロになる可能性がある。二度とこのチャンスはこない。
 こうなれば、二島返還と切り替え……二島の主権を日本に置くことを堅持して、何かの恩典がロシア側にもあるように交渉をすべきだ。
二島返還の主権を日本に譲ることはロシア国民が猛反対するであろう。何か、妥協点を模索しないと二島の主権は日本には戻らない。
どこかで妥協して、この問題の決着をみるほうが無難であろう。
安部総理は最後の総理続投で、ここで最後の実績を狙っている。拉致問題も
解決しない。プーチン氏も年金問題で陰りが出て、次の一手で国民の人気を挽回しようとしている。両者とも国民の支持を多く得ている立場にあり、決断をするなら日本、ロシアとも今しかない気がする。



●今までの宣言・声明等


 
A)  1956年(昭和31) 日ソ共同宣言

 鳩山一郎首相とブルガーニン首相が署名。平和条約締結後、歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島を日本に引き渡すと明記。
B)     2001年(平成13) イルクーツク声明

森嘉朗(よしろう)首相とプーチン大統領が署名。日ソ共同宣言の有効性を確認した。





●京都産業大 東郷教授

 日ソ共同宣言で、歯舞と色丹の二島は認識が一致しているが国後(くなしり)と択捉(えとろふ)の二島では意見が合わない。日本側は「二島プラスアルファ」という議論で解決を目指し、決断すべきだろう。今度は三度目の正直。この機会を逃せば領土問題は閉ざされる。

「四島一括返還の看板を下ろすのか」、首相は政治決断すべきだ。

●拓殖大海外事業研究所 名越教授

 安倍首相は歯舞・色丹二島が交渉対象というプーチン氏の土俵に乗ってしまった。これによって、日本が国後、択捉という大きな二島を永久に放棄する流れができてしまった。歯舞・色丹の面積は四島全体の7%だが、経済水域は全水域の40%近くを占め、安全保障上、重要な海域だけに軍部が抵抗するだろう。ロシア側は経済協力や安保、島民への補償交渉で長く複雑な条件闘争を挑むだろう。プーチン政権は国後、択捉の帰属協議を一貫して拒否している。「二島先行」どころか、「二島未満で幕引き」になる可能性も出ている。


●北方領土についての日本政府の方針転換

・日ソ共同宣言後の日本の方針

 日本は、北方四島を「固有の領土」とする立場を変えず、四島返還を原則に交渉してきた。

・2000年にプーチン大統領が就任。イルクーツク声明(森喜朗首相との連名)では四島の帰属問題解決が盛り込まれたが、交渉は停滞。

・森内閣は歯舞・色丹を先に変換させ、国後・択捉の帰属は引き続き協議する二島先行返還に軸足を移す交渉を模索した。

・プーチン氏は今年9月、前提条件なしの平和条約締結を唐突に持ち出した。安倍首相は四島返還の原則論だけでは問題解決は困難との見方を強め、今回の合意(11/14シンガポールの首脳会談でプーチン氏と平和条約交渉の加速で合意)に至ったとみられる。



●ロシア、プーチン氏の情勢

年金受給開始年齢を引き上げる社会保障制度改革で人気に陰りが出ている。一島でも割譲すれば権威は失墜する。



●「二島プラスアルファ」

・アルファは日ロで協議が続く共同経済活動である。国後、択捉でも日本の権益を確保し、島の将来にも関与していこうというもの。

・元外務省主任分析官 佐藤優氏のプラスアルファ

国後島と択捉島についてはロシアの主権を認めた上で日本人が自由に往来できる。





●① 「北方問題」の現在状況

(報道ステ2018・11・15)は?

「二島で決着か?北方領土交渉の行方」

(現状がよくわかるYouTubeです)










●② 過去の首相の交渉経過?

あの時の総理、この時の総理での交渉経過










●③ 「北方領土問題」の歴史

複雑な歴史経過(ややむずかしい)









●北方領土問題について簡単にまとめると……(ヤフー知恵袋より転載) 

1945年8月14日:日本がポツダム宣言を受諾(日本的には終戦)
1945年9月5日:降伏文書に署名(国際法的な終戦)
1945年8月25日〜9月5日:ソ連軍が北方領土に上陸し占領
日本の主張:8月14日に日本の敗戦が決まっていたのにその後に占領したのは不当。
ロシアの主張:国際法上の終戦は9月5日であり戦争状態における占領は正当。当時は武力による領土拡張が行われ黙認されていた時代。
両国が国際法上自国領土と認識している為、永遠に平行線。
日本『4島返還しろ!』
ロシア『あの時代に武力で占領した土地を返すなんて考えられない』
日本『4島返還しろ!』
ロシア『100歩譲って2島返還で円満解決しましょう』
日本『4島返還しろ!』
ロシア『それでは永遠に解決しませんよ』
日本『4島返還しろ!』
ロシア『もう良いです。好きにしてください。』
結果、長年実行支配しているロシア領がほぼ確定。
ようするに、北方領土問題を先送りにしてきた=長年の実行支配によりロシア領を確定させてしまった。日本の歴代の政治家が北方領土全てをロシアにプレゼントしてしまった。

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