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最強の日本史纏め(3) 

2018年11月14日 外部ブログ記事
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日本と世界がわかる『最強の日本史』

幕府・元寇・禅宗文化(2)
 ☆明の皇帝独裁に影響された足利義満
 ☆信長より先に上洛した大内義興と三好長慶
 ☆元寇でなく元・高麗寇と呼ぶべき理由
 *高麗王が、自分の立場を強めるため派兵を進言し文永の役は始まった
 ☆倭寇の海に南蛮船がやってきた
 *種子島に鉄砲を伝えたのも、中国人の倭寇の船に乗ったポルトガル人 
 ☆戦国時代になって浄土真宗と日蓮宗が大発展
 *浄土真宗本願寺が発展したのは、戦国時代蓮如が大衆動員に成功したから
 *商工業者には、来世より現世の利益を訴える日蓮宗の受けが良かった
 ☆宋代以降の中国文化を運んできた禅宗
 *禅宗は宗・元・明の最新文明だった
天下統一・南蛮船・朱子学
 ☆豊臣秀吉はルイー4世かナポレオンに匹敵
*世界史的観点からすると秀吉は東洋のナポレオンである
 ☆死ぬ半年前まで信長の家臣も同然だった武田信玄
 *信長は、同じ同盟者でも武田信玄より、徳川家康の肩を持つことが多かった
 ☆織田株式会社のサラリーマン社長としての秀吉
 *本能寺の変で会長信長と社長信忠が同時に死んだ
 ☆大英帝国の成功と秀吉の大陸遠征失敗の差
 *秀吉が武力に訴えてでも東南アジア諸国間の貿易を拡大しようとしたのは正しかった
 *失敗の原因は、秀吉は軍事作戦としては稚拙だった
 *イギリスは、スペインに対抗するため、海軍力を充実させ、海賊の行動も援助した
 *秀吉は、本質的に陸軍の軍人で、もう少し生きていたら作戦を練り直していた
 ☆関ケ原の敗因は2・3位連合の罠
 *西軍は、毛利(2位)上杉(3位)でした
 *毛利も上杉も持つものを全てかける勝負を避けた
 ☆家康は関ヶ原後も東日本だけの確保を狙つた
 *家康とその譜代は、関ヶ原より東だけを確保している
 ☆江戸は秀吉の命令で家康に押しつけられた
 *家康は江戸は好きでなかった
 *関八州の主になってからも多くを駿府で過ごしいる
 ☆保科正之は名君ではなかつた
 *家光は無能な人物で、強度な鬱で気まぐれでした
 *鎖国や身分制度の固定を進めて、日本の社会の近代化を遅らせた
 *保科正之は、莫大な蓄えがあった幕府を財政破綻に追い込んだ
 *支離滅裂なばらまき政策を推進した
天下統一・南蛮船・朱子学
 ☆江戸時代と李氏朝鮮がよく似ている理由
*江戸時代は朱子学が国教的地位を占めた
 *朱子学は、秩序が保たれることが主眼で変化を嫌う
 *武士の間で留まっていた「男尊女卑」の考えが庶民まで及ぶ
 ☆税制の失敗で、一日に五合ずつ玄米を食べていた江戸の人々
 *江戸時代の税金徴収は、米を年貢として取るのが基本
 *町人や職人は徴収手段がないため税率が軽い
 *人口の大半を占めた農民は、一生同じ身分で旅行も出来ない暮らしでした
 ☆田沼意次の経済政策は正しかつたが賄賂の評判で不人気
 *賄賂の横行は、吉宗の人事政策の帰結です
 ☆識字率が江戸時代に高かったという嘘
 *藩校は、殆どが漢学校で他の学問は教えません
 *義務教育でもなかったので、藩校には下級武士の子弟は通えませんでした
 *庶民は、識字率と言っても平仮名を読める程度で、中国と比較するのは可笑しい
 ☆家斉の失われた50年と天保の改革の不発
 *家斉は、50年将軍の座におり、後半は明確な目的の無い政治が行われた
 ☆鎖国を誉めるという世界史についての無知
 *カソリックを危険視し、幕府は海外渡航と、海外移住者の帰国禁止をした
 *日本は、鎖国の為に新しい技術、国際市場の通用する新製品も開発出来なかった
 *国民は、貧しさと身分の固定を押し付けられた
 ☆檀家制度で日本の仏教は宗教とはいえなくなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『最強の日本史』






日本と世界がわかる『最強の日本史』(ネットより画像引用)

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