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平成の虚無僧一路の日記

「牧原」一族の情報 

2011年06月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ネットの“チカラ”はすごいものだ。牧原一族の消息について
二人の方から、情報が寄せられた。

?牧原文吾(松井九郎)の墓は「大窪山共同墓地(中央)」にあります。
 とのこと。

どこのどなたが調査されたのか、一基ずつ墓の写真が
掲載されているのだ。
 
ところが、「牧原文吾の墓」とされる写真には、
「直義」とだけあって「文吾」とは書かれていない。
どうやら、墓の裏側の写真のようだ。

当家は、俗名の他に「直○」と「字(あざな)」がある。
「直義」は、文吾の伯父の「奇平」の「字(あざな)」で
ある。そして、その「牧原奇平」の墓の写真も掲載されて
いる。

これは、ぜひ行って確認してこなくてはなるまい。

「大窪山」は、全山「会津藩士の墓地」となっていて、
以前、何度か行ったことがあるが、藪が生い茂り、
その中に 墓石が散在していて、探すのは大変だった。

ソニーの社長「井深」氏の先祖も会津藩士で、以前、
「先祖の墓を」というので、総出で探し出したことが
あった。私の先祖の一人は「井深隊」に属していたのだ。


さて もうひとつの情報は、

?明治9年の新戸籍に、士族佐藤忠孝の妻「やお」は、
 「牧原一郎の五女、勘太輔の妹で、会津坂下町中町に
 住んでいた」という記録があります。佐藤忠孝は
 小学校の教師をしていた。

というもの。「勘太輔」は「文吾」の兄で、戊辰戦後の
明治3年、斗南藩に移住し、その後東京に出た。
「やお」という姉か妹は、会津坂下に留まっていたのだ
ろうか。


本当にありがとうございます。もうびっくりである。
ネットの“チカラ”は すごい。

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