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葵から菊へ
日本コレラ史に「避病院が市ヶ谷監獄地続きの富久町にあった」
2018年10月13日
テーマ:テーマ無し
来る28日の「玉川上水から近代水道と江戸火消しから近代消防を歩く」をガイドするために資料を調べている。
東京都水道歴史館図書室で閲覧した「日本コレラ史」と「東京近代水道百年史 通史・部門史」を世田谷図書館から借りて読んだ。近代水道の発達は、島国だった日本に侵入した伝染病コレラの防疫対策であり、文政、安政年間から現代にいたる防疫の歴史に大変詳しい文献であった。
「東京近代水道百年史 部門史」から一部抜粋
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第6節 水質管理
1水質管理にかかわる社会情勢の変遷
(1)近代水道誕生のころ
江戸時代の上水は、神田上水、玉川上水等によって、河川水を自然流下で導き、地中に埋めた木樋で配水した。原水である河川の水質は良好であったが、雨水のほか、市中の下水、し尿の浸透による水質への影響には特に気を付けていた。
オランダとの貿易や嘉永7(1854)年の開国は、西洋文化だけではなく水系伝染病のコレラも持ち込み、長崎や横浜等の港を発端に、全国的な流行がたびたび起きた。安政5(1858)年には、江戸だけで毎日の死者が数千人、最終的には全国で28万6,000人を数えたと記録されている。また、明治19(1886)年には、長崎から全国に広まったコレラにより、当時の市区15区と郡部とを合わせて約1万人の死者があり、全国では11万人にのぼった。
木樋等を使った旧式の水道では、このように衛生管理上からだけでも大きな問題があるため、欧米のような鉄管を用いた有庄の近代式水道の必要に迫られていた。東京では明治31(1898)年に日本橋区及び神田区(当時)に初めて近代水道による給水を行った。その後、需要に合わせて拡張を続けた近代水道は、関東大震災や戦争により計画に遅れが出たものの、着実に普及していった。
この結果、コレラ等の水系伝染病の発生数は大きく減少した。当時における水道の管理とはまさに伝染病対策であったが、現在でも安全が水道の本質であり、基本理念であることに変わりはない。
(2)戦前から戦後へ
戦前までの浄水処理は緩速ろ過が主体で、塩素による消毒は必要に応じて行っていたが、その後、水質の悪化により、ほとんど常時注入に近い状態にあった。戦後はGHQの指導によりわが国の水道も塩素の常時注入や管末で残留塩素を測定するなど塩素消毒を徹底するようになった。
また、このころの水質問題としてふっ素があった。戦後、アメリカを中心に虫歯予防のために水道水にふっ素を注入した例があり、昭和23(1948)年ころからふっ素添加が盛んに論議され、各地の水道でふっ素注入が続いた。しかし、昭和46(1971)年に宝塚市において原水に由来する高濃度のふっ素による斑状歯が問題となり、昭和52(1977)年に日本歯科医師会が「選択の自由のない水道水のふっ素添加は慎重に行うべき」という見解をまとめ、この問題に決着をみた。
またこの時期は、戦前・戦後に布設された水道施設の老朽化が進み、鋳鉄管のさびによる赤水が各地で問題となり始めた。そのため、昭和45(1970)年12月には、厚生省から「赤水対策の強化について」の通知も出された。
(以下略)
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「日本コレラ史」と「東京近代水道百年史 通史」に市ヶ谷富久町監獄に避病院(隔離病院)があったという記述があったので、ネット検索をしたところ下記の文献にも記述されていた。市ヶ谷谷町などにあった「市ヶ谷監獄署」の隣接地の市ヶ谷富久町につくられた「東京監獄署」(市ヶ谷刑務所)の予定地に避病院がつくられたのだろう。その後大久保にも避病院がつくられた(現在の都立大久保病院)。
参考ブログ記事「監獄署の裏」とは「市谷監獄の裏」なのか「東京監獄の裏」なのか
「東京の都市スラムと公衆衛生問題」に「市ヶ谷富久町監獄支署地続き」
小平図書館「コレラ流行のころあれこれ」に「避病院市ヶ谷富久町」
新宿住友ビル地下広場に展示されている旧淀橋浄水場の大型止水弁(現在住友ビルは2020年までリニュアール中なので見学は出来ない)
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
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