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様々な宗教を受け入れる神道(2) 

2018年10月12日 外部ブログ記事
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神道の懐の深さ

大和朝廷の起こりと古墳の出現
 ☆日本最古、纏向石塚古墳の出現
 *今日の神道は、天皇制と深く結びつくかたちをとっている
 *皇室の祖先とさる天照大神が、日本のあらゆる神々の指導者とする考えのうえにつくられた
 *大和朝廷の急成長のなかで芽生え、律令制支配の発展のなかで完成された
 *奈良県の纏向石塚古墳がその時期につくられ、周囲には纏向遺跡がある
 ☆朝廷の守り神
 *人びとは、三輪山の神は大王のそばにいて、大和朝廷の人びとを守るとした
 *大王が亡くなると、その霊は三輪山の精霊のなかの一つとなる
 *三輪山の神の祭りの場の一つとして、人工の山の古墳が築かれるようになった
 *集団の指導者首長の霊をとくに重んじる信仰を、首長霊信仰という
儒教の「天」の思想が生んだ天津神と国津神
 ☆渡来人が伝えた儒教思想
 *日本の神々は、天の神である天津神(天神)と国津神に分けられる
 *天照大神などの天津神は、国津神より尊いものとされた
 *この区別は、渡来人が伝えた儒教思想によってつくられたものである
 *王家の成長によって、六世紀に王家による全国支配が志向されるようになった
 ☆天に立った天照大神とその下の山の神
 *格の高い天津神は、人びとが行けない空の上の高天原にいる
 *格の低い国津神は、山にいて、人びとが生活する集落を見下ろするとされた
朝廷の国内支配と儒教的神道
 ☆朝廷が「律令」を必要とした理由
 *神道は、個人の信仰をもっとも重視する宗教である
 *大和朝廷は、天皇(大王)の支配を強化するのに、神道を用いようとした
 *神道の教えを、人びとを統制する法に転用することはできなかった
 *朝廷は、中国から「律令」という法をかりてきて国内支配の強化をはかった
 *中国の律令の儒教的祭祀にならって、国内の神の祭りも規定がつくられた
 *これによって、神道は儒教的性格を強くもつようになった
 ☆祭祀統制に利用された「礼」の思想
 *儒教知識によって、天津神と国津神との区別がつくられた
 *「礼」とよばれる儒教思想がしだいに重んじられる
 *「礼」とは、 一定の礼儀作法に従って人びとの行動を規制するもの
 (皇帝は国内で行なわれるすべての祭りを支配下において監督せねばならない)
 *天武天皇が大がかりな国内の祭祀制度の整備を行なった
 ☆「神祗令」の成立と日本神話の完成
 *『大宝律令』で、皇室の祭りのあり方を規定した詳細な「神祗令」がつくられた
 *天皇家が関与する年間の祭りが、今日の皇室に受け継がれている
 *国内のおもだった神社は、官社とされた
 *宮廷の祭祀を扱う神祗官という役所が官社の祭りを行なう
 *各地の土地の守り神の祭りが、朝廷の統制下におかれた
 *『古事記』『日本書紀』の神話がつくられた
 *国内のおもだった神は、天照大神を頂点とする神の同族系譜のなかに位置づけられた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神道』










神道の懐の深さ(『神道』記事より画像引用)

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