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シニアの放課後
<シオトリの唄>C
2018年10月08日
テーマ:小編物語<シオトリの唄>
べか舟の重心を取りながら海苔網を手繰り寄せ、両膝で幹夫の身体を挟むように安定させた。
「さあ、いいぞ。海苔採るぞ」
水面ぎりぎりに浮いてる幅百二十aの海苔網に向かって、支柱竹がしなるほどにぐいっと網を引っ張り上げ、海苔を掴み千切っては笊に放り込むのだったが、海苔の着いた網は重かった。
幹夫は、誠三の手繰り寄せた海苔網に捕まり、右手で海苔を掴んで千切り引っ張ったつもりだったが、つるっと滑って、掴んだもりの手の平に、海苔はなかった。
「とうちゃん、採れないよ」
幹夫の右手を揺れてる海苔に、親指以外の四本の指の爪を立て海苔を掴ませ、千切り引っ張らせた。
「爪立ててもいい、ちぎるんだ。少しでいい。たくさん掴むんじゃない」
誠三の言うとおりに、海苔を指先で掴んで爪で切るようにしても、つるつるの海苔はすべってたくさん千切れなかったが、それでも採っては笊に入れ、掴めた時もあったが、すべって何も掴めない時もあった。幹夫は、海苔採りを続けた。
誠三も、幹夫の採りやすい体勢のまま、不安定ながらも網を手繰り寄せては海苔採りを始めた。
穏やかな海苔採り日和だった。誠三と幹夫の静かな海苔採りの時間が過ぎていった。
幹夫が右手を口に持っていき、ハーハーと指に息を吹きかけだした。
「とうちゃん、冷たいよ、指、動かないよ」
誠三を振り返って、右手の動かそうとしたが、指先が冷たさにいうことをきかなかった。
幹夫の右肩から腕、手首までに感覚が戻るように揉み揺らしたあと、誠三は、手を自分の股間に持っていった。
「何するの?」
「ここがいちばんぬくい、じっとしてな」
じっとしてると少しづつ指先の温まってくるのを感じ、指が動き出すような気がして誠三の股間から手を出した。
「とうちゃん、動くよ」
「海苔採り、大変だろ、やめてもいいぞ」
幹夫は被りを振って座り直すと、自分でどてらを腰に巻きなおした。
上手く掴めた時は誠三に見せ、掴めなかった時には、ちっくしょ、と呟いたりした。時々右手をブルンブルンと振っては舟縁にぶっつけたり、幹夫自身の股間で温めたりしては、海苔を採り続けた。
誠三も同じだった。海苔採りながら動かし続ける上半身は耐えられたが、座り続けての腰から下はどてらを巻いていても冷えて、海苔網を掴む左手、海苔採りの右手も冷たさは計り知れなかった。左右を変えたりもしたが、指先の感覚が鈍ってくる毎に、舟縁に手をぶっつけたりしながらの海苔採りだった。寒さしのぎに甘酒、時にはお酒も口にしたが、休むと身体中に寒さ冷えが襲ってくるから、シオトリたちは休むことなく海苔採りを続けた。
「ゆっくりやれ。休みながらでいいぞ」
幹夫に声を掛けながらの、海苔採りもべか舟を進めていった。
「とうちゃん、手、痛いよ」
幹夫の手は、赤くなりだし冷たさを通り過ぎて、痛さを感じ出して、もう少し続けていると、痛さも感じなくなってくるはずだった。
「我慢できるか。冷たいのは、とうちゃんも、兄ちゃんも、三郎も、みんなが冷たくっても、我慢してるんだ。海苔採ってる人は、みんな我慢しながら仕事してるんだ。わかるか、海苔採りの大変なこと」
うん、と震えながらも頷いた幹夫に涙目ながら、それでも笑っているのを見て、誠三は涙のにじんでくるのを感じた。
夏夫は二柵ほど離れたところにいて、時々大声で呼びかけては手を振り、海苔採りを続けていた。夏夫に同じような時期のあったことを、大きくなったら海苔屋になるんだと言ってことを思い出したが、今の心持ちとは違っていた。
真っ青な二月の空、風もなく寒さは和らいでいたのだが、それでも零下、寒くて冷たくて、体の芯まで冷える海苔採りだった。大森の海苔屋は、どれだけ寒くても海に出ることを怠けたりしなかったが、冬の海苔採りの辛さは、誰もが同じで我慢との戦いだった。
幹夫は、右腕の感覚が戻ったらしく、身体ごと、ぶるっと気合を入れるかのように震えてから、よし、やる、と言って、また海苔採りをはじめ出した。
天気に恵まれた諏訪神社のお祭りの日、隆ちゃんと良くんと金魚すくいをしていた。
「お〜、水だけは一杯入ってるなあ」
背後からアルミのお椀を覗き込んでのからかいに振り返ると、誠三、俊太郎、それに母も夏夫も弘子も、博史の家族もみんないた。男たちは神輿担ぎの足袋に股引半纏姿で、幹夫も白足袋に半被、鉢巻姿だった。
誠三は、大森に来た翌年の夏、諏訪神社の例大祭の日の町内に繰り出すお神輿を見ていて、大森にいる諏訪の者たちで神輿を担ぎたいと思った。
田中の親父、俊太郎と相談して当時の氏子総代に、一度でいいから同郷の者たちでお神輿を担がせてほしい、とお願いをした。誠三たちの想いは、すぐに叶えられなかったが、総代の、氏子の方々、地元への働きかけと骨折りのおかげと、地元の海苔屋の応援にも支えられお許しが出た。
お囃子の鉦、和太鼓は借りることで、山車引く子供たち、神輿を担ぐに充分の男衆女衆も揃って、諏訪神社のお祭りには大森の人たちに諏訪人の元気さを見てもらおうと張り切っていた。おじいちゃんの故郷がとか、諏訪を心に感じているみんなが、一年も前から子供たちのお囃子の笛、太鼓の練習にも熱が入り、精いっぱいの参加をしようとして想いを募らせていた。
みんなの願いは叶わなかった。
大森、諏訪の多くの者たちが、誠三も俊太郎も召集されてしまったのだった。ふみ子と一緒になり、夏夫が生まれた年のことだった。
誠三は、幹夫が生まれてから、時の氏子総代に神輿担ぎを、もう一度お願いしたのだった。昔の経緯もあり、諏訪の者たちでの神輿担ぎにお許しが出た。少しでも諏訪に縁があればという子供たち、大人、年長者も心待ちに、俊太郎、誠三たちのお囃子の練習にも熱が入り、担ぎ手も充分に揃って願いが叶った。翌年から、神輿担ぎたい者、自由に参加させていただくようになった。
「こいつ、逃げ足速い」
隆ちゃんが、水槽の中で一番大きな金魚を狙っていた。小さな可愛い金魚からお腹の大きい金魚、頭が凸凹の金魚もいろいろ、姿かたちは出目金がいちばん目立っていた。
「幹夫、さみしいなあ。誠さん、久しぶりにやってみようか、遊び代」
俊太郎が手を差し出したのに、ふみ子は弘子に小銭をと促しながら、初めて誠三と口をきいた時のことを思い出した。
美原通りの夜店で金魚をすくっては放していたのを見て、弘子のほうから話しかけたのだった。
「やさしいのね。私に、三匹位ちょうだい」
誠三は振り向きもしないで金魚すくいを続けていたが、三匹、元気そうなのをすくってくれたのだった。
夏夫、弘子もみんなが、水槽をぐるっと囲んだ。俊太郎は子供たちの邪魔をしながら楽しんでいたが、お椀には一匹、二匹とすくい上げていた。
誠三も幹夫の邪魔をしながら、すくっては幹夫のお椀に入れたりしていたが、大きな金魚が近くに来るとポイを金魚に合わせた。動きに合わせていた誠三の手の内で金魚が操られるかのようなに泳いでいた。金魚の動きが緩慢になり目の前に追いやられてきて、緩やかに浮き上がり、今にも水中から飛び跳ねようとしたその瞬にポイをあてがい、お椀をすっと金魚の下へ潜り込ませた。
「お兄ちゃん、みんな持って帰っていいの」
金魚屋のお兄さんは笑顔で頷いたが、誠三は小さい元気な金魚だけを五匹選んでビニール袋に入れて幹夫に手渡した。
誠三は、本殿横に集まってる人たちに声を掛け社務所の総代、氏子の皆さんに挨拶をしてから本殿に向かった。この日、縁のある者同士が一緒に諏訪神社に集まるようになっていた。年長者と俊太郎、誠三は本殿に上がり御祓を受け、拝殿前ではみんなが想い想いの気持ちで手を合わせていた。
神輿の出始めの商店街に向かい出すと、誠三はふみ子を促し、本殿横の下社に向かった。二人手を合わせてから、祠の横の、緑濃い苔を親指大ゆっくりと剥がす様に摘んで、余計にもらったビニール袋に入れてふみ子に渡した。
「これが返事ね、わかったわ。早く喜ばしてあげればよかったのに、でも私も迷ってたのよね」
ふみ子は、袋を両手で合わせるようにして受け取った。
高校生の弘子が、バレーボールクラブの仲良しで修学旅行とは違う旅行をしたい、とふみ子から聞いていたが、今まで弘子のことはふみ子の範囲内で片付いて、まだ返事をしてなかった。高校生の女の子グループだけで旅行など考えられなかった。
ふみ子は、誠三が諏訪神社に来てることを知ったのは、一緒になって間もなくのことで、何かわけでもあるのかと聞いても、諏訪神社だからと言うだけだった。
「今、手を合わせられることに感謝してるだけだ」
〜続く〜
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