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シニアの放課後

<シオトリの唄>B 

2018年10月05日 ナビトモブログ記事
テーマ:小編物語<シオトリの唄>

 海苔の評価は、色、艶、香り、手触り状態から判断されたが、海苔の質が良くても、厚過ぎ、透け過ぎたり、むら、縮れ、穴、異物があったりすると、商品としての評価が下がった。厚くもなく、薄くても透けてる薄さではなく、海苔の重なりの一様にきれいな透け具合がいいとされていて、熟練の度合いによっても板海苔の良し悪しに違いがでてくるのだった。
 それでも、いい海苔が、おいしい海苔とは限らなかった。
 男たちが向かっている窓ガラスには霜が降り、外気と変わらない裸電球の下、作業場の隅の七輪にヤカンがかけてあるだけで、暖房もなく寒い中での海苔仕事だった。

 引戸の音がして、幹夫の元気な声と一緒に夏夫、弘子、ふみ子が入ってきた。
「来たな、幹夫。今日から、海苔採りするんだって」
 三郎が海苔付けを続けながら話しかけた。
「うん、海苔採りするよ。僕、海苔屋になりたいから」
「じゃあ、幹夫、今日から、うちで毎日寝ていいぞ。うちの子になってもいいぞ」
 博史が言うと、幹夫は、うっーと力むようにして考え込む素振りをした。
 弘子はみんなに、通り一遍の挨拶をした後、博史の傍に寄った。
「おじちゃん、おっはよ。わたしじゃ、だっめ?」
 内緒話でもするかのように話しかけてから、幹夫の傍を通る時にちょんと頭を小突いて、よかったね、たくさん採って来いよ、と言うと、お勝手をするふみ子と一緒に作業場を出て行った。
 夏夫は、チョッパーでの海苔刻みを手伝い始めた。
 幹夫は、海苔作業場に入ったことはあるが、この時間にみんなが仕事をしているのを見るのは初めてで、うろちょろしてから誠三の海苔切りを見ていた。
「やりたいよ」
 幹夫は、誠三のすることは何でも真似してやりたがった。
 誠三は刻み終わった生海苔を下し、新しい生海苔をたたき台に乗せてから、庖丁を二丁持たせて向かい合った。
「いいか。庖丁は、真直ぐに下ろすんだ。こうして、ゆっくりだぞ。ゆっくり」
 誠三が始めると、幹夫も、よいしょ、よいしょと言いながら、誠三が生海苔を包丁で掻き集めると、同じように真似ては海苔切りをしていた。温まってきたらしく綿入れのどてらを脱いだ。
 誠三は、幹夫の海苔切りの仕上げをすると、海苔刻みを夏夫のチョッパーに任せ、海苔付けに移った。
「幹、今度は、こっち手伝え」
 夏夫の呼ぶ声に、幹夫はチョッパーの上の口から生海苔を入れることを手伝った。チョッパーの海苔刻みは速くて楽だった。
 海苔刻みも終わると、幹夫は、海苔付けしている誠三の傍を離れなかった。
「とうちゃん、僕にもできるの」
「できるとも、やってみよう」
 幹夫を海苔付け台に向かって立たせ背後から、二、三度海苔付けする仕草を見せてから、誠三は一緒に、幹夫の左手で木枠を軽く抑えさせ、重箱を持った右手を包み込むようにして樽の中の生海苔をかき混ぜてから、水と一緒に生海苔をすくった。
「いいか、力むなよ。右手に力を入れるな」
 誠三は、重箱を持った幹夫の右手を包み込むように持って、重箱に入っている生海苔を枠の左内側から右の方へ流し込むや、木枠をすばやく幹夫の両手の指で押さえ揺らした。瞬の間に水と一緒に海苔は一様に木枠の中に拡がり、海苔簀の隙間に水は流れて、きれいな板海苔が残った。
「一人でやってみな。練習してからな」
 空の重箱で、流す真似をして木枠を揺らした。一回ごとに振り返り、誠三が頷くと、できる、できる、と独り言を呟きながら三、四度練習を繰り返した。
 幹夫は、重箱に水と生海苔を樽からすくうと、大きく息を吸ってから、えいっと気合をかけて、重箱の海苔を木枠の中に流した。幹夫が、木枠を揺らそうとしたら、あっという間に、水は落ちて行った。
「とうちゃん、穴が開いてるよ」
「もう一回やってみな」
 博史も三郎も、夏夫も部屋のみんなが手を止め、幹夫のすることを見ていた。
 誠三は、もう一度練習させてから、樽から生海苔の量を多めにすくった重箱を持たせた。
「幹夫、海苔屋になれるか、テストだからな」
「うん、がんばるよ」
 三郎の言葉に幹夫は真顔になり、えいっと、掛け声に合わせ生海苔を流した。今度は少し揺らすことができて、きれいな板海苔が残った。
「できたよ、父ちゃん」


 大森の沖十`先まで、海苔養殖場は拡がっていた。
 日の出前のまだ暗い時間に数百隻の親船が、甲板に海苔採り舟を積んで、沖に向かう澪にエンジン音を重ね白い荒波を幾重にも残しながら、我先にと海苔場を目指し競争していた。
 大森の海に、毎日数千人のシオトリたちが海苔採りをしていた。
 誠三たち五人は、海苔採り用べか舟四艘を積んだ親船に、いつもは三郎か誠三が舵取りするのだったが、今日は博史が舵を握っていた。誠三たちを送ってから、他の海苔屋のシオトリたちを海苔場まで送ることになっていた。
 これでもかと寒さをしのぐ厚着姿の幹夫は、ほっかぶりした手拭と帽子の間から笑い顔を見せ、寒い寒いと言いながらも、興奮気味に狭い甲板ではしゃぎ、肩をすぼめては震えるしぐさをしたりと、みんなの心を軽くしていた。
「今日は、幹夫を頼りにしてるから、いくら寒いと言っても、暖かくはならないから、我慢しろよ」
「わかったよ。うん、がんばって、海苔採るよ」
 三郎の励ましに笑って応える幹夫の姿を見ることが、誠三にはうれしかった。 

 海苔養殖場には、統一した海苔柵(幅二.一b、長さ四十五b)内に、数bおきに海底に刺した五、六十本もの支柱竹にぶら下げた水平の海苔網(四十五b、幅百二十a)が、上下調節もでき、満ち潮時に水面下、引き潮時に水面上の位置になるように張ってあった。海苔網に沿って、柵内に幅九十a分の海苔採り舟の通路があった。
 大森沖には、三万もの海苔柵があり、整然と並んだ海苔柵百五十〜二百の集まりを海苔棚と、棚と棚の間には数十b間隔の船道があった。九〇bの広い船道もあり、海の集会場、親船を止めて置く停船場でもあった。
 大森には、約一〇〇〇軒の海苔屋があり、血縁地縁からなる十五〜五十人の丁場と呼ばれる四十二のグループを作っていた。
 海苔柵は、海苔業のお正月と言われる九月初めの氏神様での豊作、海の安全を祈願する建方祭の終わった後、丁場内での柵割りが、江戸の時代から恨みっこなしのくじ引きで決められていた。
 海苔屋に当てられる海苔柵は、一ヶ所ではなく何ヶ所かに分かれていた。海苔の病気、異変が起きた時の全滅を防ぐためにと、くじ引きとともに先人の知恵でもあった。
 博史の家では、借りてる柵も含めると、十数カ所にあった。一〇`先の沖、大井沖から糀谷沖まで、端から端まで、船で四、五十分以上もかかった。
 海苔場は、天気、潮の流れ、さまざまな要因で海苔の成長、生育、収穫量にも影響し、昨年と同じ場所が今年もいいとは限らなかった。数年大森の海は、天気に恵まれ海苔の成育にいい海の状態が続いていた。
 今年博史の家はくじ運にも恵まれて、忙しくってもうれしい冬だった。

 海苔は一度摘むと、二週間ほどで次の海苔採りができるまでに成長した。今日の場所は、平均十五a以上にも伸びていて、天気も良く、期待できそうだった。
 誠三は幹夫と一緒に、夏夫は近くで、三郎たちもべか舟で予定の柵に向かった。
 海苔採り用の伝馬船(四.五b、幅八十a)は、べか、と呼ばれ、中央に幅広く横向きで海苔採りしても安定するように作られていた。跪座という正座から足の爪先を立てて少し中腰の座り方で海苔を採ったが、時に立膝、胡坐、正座で海苔採りすることもあった。
 シオトリたちは、ボータと呼ばれる木綿重ねの刺し子の利き手袖を短くした半纏を着ていた。ボータは、風を通しにくく寒く冷たい海の上で身体を温かく守ってくれた。幹夫も、ふみ子にねだって、弘子と一緒に作ってくれた少し大きめの刺し子半纏を着ていた。
 誠三はべか舟を海苔網の横につけると、幹夫の着ていたどてらを脱がし、横向きに正座後ろ足の爪先を立てるようにと中腰にさせてから、腰から下にどてらを巻きつけた。
 海苔採りは、素手で掴み千切るのだった。
 左手には肘までのゴム手袋、右腕の半纏を肘上まで腕まくり縛ってから素手で、幹夫の身体を斜め後ろから支えるようにして、誠三は、支柱杭につかまり身体ごと海苔網の方に少し乗り出した。
「わあ、落ちる」
 幹夫は仰け反った。
「大丈夫だ、さあ、やるぞ。左手で網引っ張って、右手で海苔を千切るんだ。いいな」
「うん、わかった」
 寒さの中で頷いた幹夫の表情は、硬くなって真直ぐ誠三を見つめた。
 四十g入りの笊が艫に三個あった。一日で二笊も採れれば上出来だった。一人なら、今日は少し多く取れそうな日ではあったが、幹夫と一緒のこともあり、それでも二笊はと思っていた。

〜続く〜



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