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天下統一・南蛮船・朱子学(4) 

2018年09月17日 外部ブログ記事
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天下統一・南蛮船、・朱子学(4)

田沼意次の経済政策は正しかったが賄賂の評判で不人気
 ☆第9代将軍の家重は知能はまずまずだが言語障害
 (側近の大岡忠光しか理解できない)
 ☆家重の治世、田沼意次が頭角を現す
 ☆肥後の細川重賢や上杉鷹山の改革
 *倹約、殖産興業、人材登用、教育振興等
 *上杉鷹山は、現役の殿様のときに天下一の名君といわれた
 ☆家治はまともな頭脳を持った将軍だが、田沼意次に政治任せきり
 *意次は、家治の後ろ盾なく、賄賂に頼った政治運営をした
 ☆賄賂の横行の根本は、吉宗の人事政策の帰結です
 *人材登用を促進するために、ボーナスを出したのが要因
 ☆この時代に浅間山の噴火などがあり、天明の飢饉が起きた
 *意次の責任ではないが不運でした
識字率が江戸時代に高かったという嘘
 ☆文教政策では昌平黌の設立で、全国的な藩校設立ブームになった
 ☆「寛政異学の禁」で、蘭学の発展などが阻害されたのはマイナス
 ☆藩校の殆どが漢学校で、漢学以外の学問はほとんど教えなかった
 *算術は武士にふさわしくないとされ遠ざけられた
 *漢学の水準も、科挙があった中国や朝鮮と比べると低レベル
 ☆江戸時代の日本では識字率が高かった?
 *日本語の識字率は、漢字を使いこなせる人の割合で考えるべき
 *江戸時代の識字率は、低かった
 ☆50文字の仮名を分かる日本人の割合と数千時の漢字をわかる中国人と比較してる
家斉により、失われた50年と天保の改革の不発
 ☆家斉は、50年にもわたり将軍の座についていた
 *家斉の後半の政治は、明確な目的意識がない政治が行われていた
 ☆江戸の庶民にとり、それほど暮らしにくい時代でなかった
 *インフラの率った江戸に住めるということが特権
 *住民の生活水準や自由度が高いというのも、現代の平壌そっくり
 *体制の安定のためには、首都の住民を特権階級化するのは賢いやり方
 *文化文政の軽やかな庶民文化が栄えた
 *この時代風紀は乱れた
 ☆将軍家斉は数十人の側妾を抱えて50人もの子供をもうけた
*子供の養子先、輿入れ先の確保は頭痛の種で幕政の最大課題
 ☆家斉の時代は「失われた50年」
 *家斉の正室は、島津重豪の娘
 *島津重豪は「幕末の信長」と呼ばれるぐらい滅茶苦茶な独裁者
 *借金は将軍の岳父の威光で踏み倒し、密貿易を平気でする規格外の殿様
 ☆地方では一揆が頻発
 *尊皇思想が芽生え、黒船が姿を見せ始めた
 *薩長土肥など西南雄藩で、下級武士たちが力を持ち始めた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
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出典、『最強の日本史』

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