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イエスによる「救い」の論理(2) 

2018年09月16日 外部ブログ記事
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キリスト教の三つの「罪」

聖書では何を罪というのか
 ☆今の人間は、霊に「いのちエネルギー」を吸収するのがむずかしい状態にある
 ☆意識を創主からそらしてしまっているために、意識波動が創主と不協和になっている
 ☆不協和な意識状態になので、いのちの充電が途絶え、霊に死の領域が形成されている
 ☆意識(霊)がそういう状態になっていることを、聖書では「罪」という
 ☆一般的に「いのち」「死」ふだん使っている言葉の意味とはかなり違っている
「罪」の三重構造
 ☆聖書の「罪」の考え方は、三重構造
 (原罪・思いの罪・行いの罪)
 ☆中心部に位置するのが「原罪」だ
「原罪」とは何か”知恵の実”の意味
 ☆「原罪」とは、創主から意識をそらし、いのちが吸収されなくなっていること
 ☆人間の霊には、いのちエネルギーの”充電不全部分”が形成されることになる
 ☆創主を意識から閉め出すこと
 *もう知恵ができたから、自分で判断できると思うこと
 *アダムとイブはそれをやり、悪魔がイブを誘惑してやらせてしまう
 ☆原罪は「よからぬ思い」を果実のように派生させる
「思いの罪」原罪がすべての罪を引き起こす
 ☆聖書の次の道理だこれが第二層の「思いの罪」
 ☆いのちエネルギーの欠けた「死」の部分より、「汚れた」意識が形成される
 ☆聖書では「いのちの欠如=死=汚れ」という思想
 ☆イメージは、この世のギラギラした欲望に満ちたような意識となる
 ☆原罪が「死」をつくり、原罪が「よからぬ思い」を派生させることになる
「行いの罪」モーセの「十戒」に示されたもの
 ☆「思いの罪」一番外側の層の「行いの罪」が派生する
 ☆旧約聖書における「罪」は、基本的にこのたぐいの罪に対応している
 *それを規定しているものを「律法」
 *シナイ山でモーセに創主から与えられた「十戒」を意味する
旧約聖書時代のユダヤ教の僧侶や信仰者たち
 ☆「十戒」反しないよう心がけ、自らを”罪なき者”と思っていた
 ☆イエスが現れて、行いだけではなく「その思い」も罪になると教えた
 *「女を見て姦淫の情を抱けば、姦淫の罪を為したことになる」という教え等
 ☆新約聖書では「思いの罪」が追加されている(イエスの宣言の主旨)
 *人間が未熟な間には、まず「行い」を規定する律法が示される
 *それは本来「思い」をもカバーするもの
「人はみな罪人」の本当の意味
 ☆聖書ではア、ダムとイブから子孫が増え、今日のわれわれに至っているとなっている
 ☆聖書の思想は、子孫の霊は、アダムという幹から枝が分かれし次々に分離していく
 ☆アダム同様、すべての人間は、生まれる前から充電不全の霊を受け継いでくる
 ☆聖書で「人はみな罪人」というのは、そうした筋道のもとにいわれていること
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『聖書が面白いほどわかる本』






キリスト教の三つの「罪」(『聖書が面白いほどわかる本』記事より画像引用)

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