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尺八と横笛吹きの独り言

第56回都山流定期演奏会の下合わせ・「梵」作曲大月宗明氏 

2018年09月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●第56回都山流定期演奏会のプログラムが配布されました。
平成30年10月8日(祝日) 会場10:30 開演11:00
会場 たましん RISURUホール 大ホール(旧立川市民会館)
主催 都山流多摩幹部会 65名(H30年7月会員数)
入場無料です。



私が吹くのは次の4曲です。
「秋の韻」・・・・・尺八4名・筝・三絃・十七絃・胡弓・打物・・・・・宮城道雄 作曲・・・・・千葉社中
尺八曲「風吹く」・・・・・尺八22名(尺八1部担当)・・・・・野村鋒山 作曲
本曲「和光」・・・・・尺八57名(尺八2部担当)
梵(ぼん)・・・・・尺八48名・筝・十七絃・・・・・大月社中

●下合わせ風景・・・・・武蔵境杵築神社社務所内 午後1時から5時30分ごろまで           

午後からプログラム配布と会費納入(演奏会費15000円と支部費3000円で18000円)
「和光」・・・・・おおぜいだからなんとかだいじょうぶかな?
「梵」・・・・・演奏会としてはこの曲は2回目です。
「風吹く」・・・・・なんとかいけそう。いい曲です。終了が17:30ごろ・・・・・疲れました。足が痛い。

●「風吹く」最初部分 1分43秒 一部・・・・・野村峰山 二部……設楽瞬山……美しい音色。むずかしい曲です。4/4やら3/4やらが交互に出て様々な風を表現しています。日本の邦楽界を背負っておられるお二人のすばらしい演奏です。
https://drive.google.com/file/d/1RSlxBNY6wY7XMPy8XkStAxp9CbsOJDm1/view?usp=sharing

●大月宗明 作曲「梵」下合わせ
 
大月先生の息子さんの大月一正先生の指導によります「梵」の下合わせ。
支部長から大月宗明先生が逝去された旨のお話がありました。
いわば、今回の「梵」の選曲は、作曲者大月宗明先生の追悼の意味もあります。
●梵について
「梵」とは宇宙の真理、絶対至上の神、清浄、梵天等の意味を持つ。邦楽器合奏の神秘的な雰囲気を効果的に盛り上げることを意図して作られており、邦楽器による東洋的鎮魂(ちんこん)曲ともいえる合奏曲である。鎮魂曲(レクイエム)。

「海の響(わだつみのこえ)」「林にて」「開華(かいげ)」「終章」の四楽章からなる。

今回は第三章 開華(かいげ)の繰り返しはそのままで譜通りでした。8年前は繰り返した時11小節をカットしていました。前回と違います。13分40分の大曲。 
二部は単調な繰り返しが多く、うっかり譜をふみはずすとわからなくなる。
「タ・レの大甲・タ・ピ」の吹き回しが難しく追いつかない。自己採点40点ぐらいのできだなあ・・・・・
9/23にもう一度全体の下合わせがある。

●下合わせ音源「第1章 海(わだつみ)の響(こえ)」最初の部分
https://drive.google.com/file/d/1QD7DNfJzKbWM9jphePP9DwU7IF7Hms4b/view?usp=sharing

●2010(H22)4月・・・・・8年前の「梵」下合わせ写真。
写真はお元気だったころの大月宗明先生(写真右)。
お話が泉のごとく湧き出す先生で・・・・・岡本太郎をイメージする情熱的な先生でした。
場所は六本木の麻布小学校での下合わせでした。

●fueブログ過去の記事から抜粋
https://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/50325631.html

●大月宗明先生 プロフィール
1933      岡山市生まれ(75〜6才かな?)
1951〜1955 東京芸術大学邦楽科
1962      日本音楽大道派 2代宗家 襲名(初代宗家・大月忠道)
1975〜2003 日本音楽演習講師/岡山大学 兵庫・鳴門教育大学、鳥取大学他 
2002〜     NPO全国法人日本箏曲楽会(別称日本の感性21・CNC)設立 会長

前回は「梵」の一部でしたが、今回は二部。大月先生と身近に接近できました(8年前)。
お話はしたことがありません。

 練習前に、様々なお話をされます。
失礼ながら特異な考え方をされます。「芸術はパッションだ」の岡本太郎さんを彷彿します。

お考えの中に宇宙的な大きさがあります。

●梵(ぼん)

大月宗明 作曲(昭和47年作曲)・・・・・ 作曲者の思い・・・・・7
 戦争で亡くなった死を無駄にしてはいけない。邦楽器による東洋的鎮魂曲。
演奏家、芸術家としての目的は世の中に役に立つ仕事をすることを常日頃、考えている。
20数年前にジョンレノンが平和の歌を歌ったが、当時は異色であったが、これが(時代を見越した平和の歌)現在では常識となっている。そこで、私も時代を見越して東洋的な鎮魂歌があってもいいと考えた。様々な国で演奏をしてきましたが、外国人は日本に大変に関心を持っています。外国に行きますと、メッセージ性が必要になってきます。こうしてアジア的で東洋的な鎮魂曲を作曲しました。

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