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第19回 民家で夜語り 

2018年09月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨夜開催された三芳町の、歴史民俗資料館、中央図書館共催。かにかにこそこそ出演の「民家で夜語り」は、今年で19年目だそうです。2009年から参加している私も、10回目の出演となりました。

大きな茅葺き古民家に満員のお客様。
今回は資料館長さんの次に町長さんの挨拶もありました。
学芸員さんが火打石で行燈に灯を入れる実演の後、語りが始まりました。


トップバッターは私。
朝までひどく咳き込んで居て、内科で吸入をして来ましたが、出演時間だけはピタッと咳が止まって居て、普通に語れました。
喘息が出るのではないかという不安があって、初めは硬くなって居ましたが、だんだんノリノリに。


今年も東京から、志村建世さまご夫妻と娘さんが、大学生の孫息子さんの運転で来てくださいました。
富士見市の友人も不便な会場に電車とタクシーを乗り継いで来てくださり、三芳町内のお友達も来てくださいました。


語りは若い女性方の進歩もめざましかったですし、唯一男性の新人は当然のように人気をさらいました。
若い図書館職員で、声良し顔良し語りも達者、アンケートでたいそう褒められていました。
超ベテランのおばさま方には、毎年来られる根強いファンが付いて居ます。


お客様のアンケートには「満足」に丸が多かったです。
開け放たれた縁先から、たくさんの虫の声が趣を添えて居ました。


お客様をお見送りして、記念写真を撮って、反省会は遅い夕食。
資料館からのおにぎりセットとお茶の他に、お赤飯を炊いてくださったお仲間があり、差し入れのお菓子もさまざまありましたが、食欲なくほとんど持ち帰らせて頂きました。


若い方に車で送り迎えして頂き、午後4時50分に家を出て、9時半に帰りました。
さすがに疲れ、咳き込んで眠れない晩になりました。





私の語りは隣町上福岡の物語です。




皆さんはふじみ野市の「福岡河岸記念館」をご存知ですか。
新河岸川船運の歴史が展示されていますが、
あそこの塀の外にお地蔵さまが祀られています。
茂兵衛地蔵と言って、様々な言い伝えが残るお地蔵さまです。


なぜこのお地蔵さまに全く違う言い伝えがいくつもあるのか不思議です。どれが本当の茂兵衛さんか分かりません。このお話もその一つで、主人公富田茂兵衛さんの一族にあたる、富田竹雄さんがお書きになったご本に載って居るものです。




生きていた茂兵衛さん___本当に有ったもう一つのの位牌
富田竹雄著 ふじみ野風景物語より 再話


新河岸川周辺の田圃は、稲刈りの時期になっても水が引かず泥田のままであった。泥水の中での稲刈りは大変辛いもので、霜が降りるほどの寒さの中で刈り取った稲束を田押し舟に乗せて、泥水の中を歩き回らなければならなかった。
ある日、一人の若者が稲刈りをしていた。彼は病気の両親を養っている孝行息子である。
若者は稲刈りに夢中だったので、殿様の行列が通りかかったことに気づかず、土下座をしなかったばかりか、泥水を殿様にはねかしてしまった。若者はたちまち取り押さえられ厳しい処罰を受けることとなった。q
その若者の命乞いをし身代わりになると申し出たのが、名主の富田茂兵衛さんであった。彼は生きながら塚に埋められることを選んだ。
死を覚悟した茂兵衛さんは、冷水で身を清めると白装束を着け、左手に数珠を持ち右手には鈴型の小さな鉦を持って、村人たちの前に立ち静かに挨拶をした。
そうして穴に入り座禅を組むと「鉦で合図をしたら埋めて貰いたい。鉦の音が聞こえなくなったら、茂兵衛は成仏して浄土へ行ったと思って欲しい。浄土からみなさんの幸せを祈っています」と、落ち着いた口調で話した。村人たちの間から悲痛な嗚咽が沸き起こった。
やがて茂兵衛さんは鉦を鳴らした。埋めてくれと言う合図である。茂兵衛さんの頭の上に節を抜いた太い竹筒が立てられ、周りから土をかけようとしたその瞬間人々を押しのけて飛び込んできた若い男が、背負ってきた籠いっぱいの茅を、茂兵衛さんの頭の上にぶちまけた。誰もが予想もしなかったことで、一瞬どよめきが起きたが、すぐに茅に埋まった茂兵衛さんの上から土がかけられていった。土饅頭が作られ、真ん中から竹筒が突き出ていた。竹筒に近寄るとかすかに鉦の音が聞こえていた。人々は代わる代わる鉦の音を聞いては念仏を唱えて拝んでいたが、やがて夜が更けると誰もいなくなった。
真夜中を過ぎ、丑三つ時、林の中から屈強な二人の男が現れた。提灯一つの灯りの下二人は土饅頭を掘り返し、ぐったりしている茂兵衛さんを引っ張り出した。
するとどこからともなく駕籠が現れて茂兵衛さんをさっと連れ去った。
二人の男は穴を埋め戻し、土饅頭を作り直すと、一膳飯を供えて箸を立て、線香を焚き、茂兵衛さんが仏になられたかのように取り繕った。
この夜の出来事は誰にも知られることが無かった。


悲しみに打ちひしがれていた村人たちは 若者の身代わりとなった茂兵衛さんの安らかな成仏を願って、地蔵菩薩として祀ったのが、ハケにある茂兵衛地蔵である。

一方夜の闇に紛れて茂兵衛さんを乗せた駕籠は、夜明け前に村境の粟久保を無事通り抜けた。
こうして茂兵衛さんは長い旅を続け、京の都で仏門に入った。
何年かの後、京の寺から、茂兵衛さんの位牌が、中福岡村花の木の生家に届けられた。
富田家では、既に茂兵衛さんの位牌を祀っており、茂兵衛さんがあの時死んでいなかったことが人に知られたら、大変な事になる。あの時、役人たちも村人たちも欺いたたわけだから。
当惑した富田家では、新しい位牌を分家の一軒に密かに預けた。
その位牌は確かに有ったと聞いている。 おしまい。

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