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日本国の宗教の変化2(復習11) 

2018年09月02日 外部ブログ記事
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仏教はどうのようにして今の仏教に(1)

仏教伝来と聖徳太子
 ☆神々の国に伝来した仏教
 *欽明天皇の治世に朝鮮半島に百済の聖明王から公式に伝えられた
 ☆武力衝突に勝利した蘇我氏の氏寺として飛鳥寺が建立された
 ☆法隆寺は聖徳太子直系の寺
 *聖徳太子を開祖とし「聖徳宗」の総本山




奈良の大仏は釈迦でない
 ☆聖徳太子から聖武天皇へ受け継がれる仏教導入
 *聖武天皇は、光明皇后とともに仏教に篤く帰依した
 *聖武天皇は、各国に国分寺、国分尼寺を建立した
 *総本山は東大寺とした
 *世界最大の木造建築物大仏殿(廬舎那仏)を建立
 ☆菩薩と呼ばれた行基
 *行基を慕う民衆は、行基伝説を各地に残す
 *民衆を癒すために行基が発見したと言われる温泉
 (草津、野沢、湯河原、山中温泉など)
中国の高僧鑑真の来日
 ☆日本仏教導入の最大の問題は僧侶任命機関の不在
 *聖武天皇はそのシステムの輸入を唐に求めた
 *鑑真来日の目的は、戒律を伝える体制を導入する統括者の役割
 *鑑真は東大寺に戒壇院を設置
 *聖武上皇をはじめ、日本では最初の戒をさずけた人物
 ☆唐招提寺は仏教大学院
 *中国から仏教の社会システムを伝えてくれた鑑真
 *その功績には、計り知れないものがある
 *奈良仏教は、律令国家体制に組み入れられた
 *天皇も受戒し、日本で仏教が国事にもっとも近づいたとき


政治を操った怪僧・道鏡
 ☆仏僧・道鏡と女帝のスキャングルに八幡様のお告げが下る
 ☆女帝称徳天皇が招いた政治的危機 
 *称徳天皇没後、皇位は藤原氏の推す光仁天皇に引き継がれる
 *道鏡の左遷により収束
 ☆仏門に入っても祖先の霊は畏れ多い
 *受戒までして仏門に入った天皇やその臣下
 *天皇の祖先応神天皇の霊が横やりを入れると動揺した
 *宗教がらみの政治スキャンダルは平城京の行く末に大きく影響しあ
 *光仁天皇の皇子桓武天皇は、仏教勢力の政治介入を嫌い遷都を実行する


都は風水で決められた
 ☆風水により転々と遷都が行われる
 *平安京という王城は、この風水に適った条件を探した結果です
 ☆10年で放棄された長岡京遷都
 ☆平安京は最強の風水城都




伝教大師・最澄と弘法大師・空海
 ☆桓武天皇の見いだした最澄と空海
 ☆大衆救済システムの輸入を志した最澄
 ☆最澄の目的
 *新しい天台仏教を広めようとしたこと
 *戒を授ける戒壇、「大乗戒壇」を運用し、比叡山を一大仏教アカデミーとする
 ☆既存仏教界との論争に奔走した最澄
 *比叡山は天台宗の拠点となり、新仏教の開祖となる高僧を輩出する
 ☆空海の目的
 *好奇心から密教を知るために唐に渡った
 *空海はあくまで、密教にしぼつていた
 ☆伝説の巨人となった空海
 *空海は派手なパフォーマンスで、鎮護国家のための祈祷を行う
 *日本最初の密教の灌頂を行い、最澄とその門下生も弟子となる
 *空海は、各地で大師様=弘法大師伝説を残した
 *空海は庶民に愛されるスターとなった
 ☆真言密教は大日如来との一体化で即身成仏
 *空海は『十住心論』を著し真言密教が優れていると説く
 *宇宙の中心大日如来、その化身である不動明王が一体となる
 *その力を借り、雨を降らせたり、病気治療、人を呪い殺したりといったことが可能になる
 *それが護摩を焚く加持祈祷です
 ☆最澄と空海の訣別
 *天台宗に密教の要素も取り入れたいとの最澄の願い
 *弟子の円仁・円珍が唐に渡り、本場の密教を学ぶ
 *天台宗系の密教「台密」、空海の密教「東密」と呼ばれ貴族社会で信仰される
 ☆真言密教は大日如来との一体化で即身成仏






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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『手にとるように宗教がわかる本』
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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