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仏教伝来・聖徳太子・大化の改新 

2018年09月01日 外部ブログ記事
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仏教伝来・聖徳太子・大化の改新

生前退位がない時代には若い天皇はありえなかった
 ☆「天皇」という称号が最初に法的に定められたのは、701年の「大宝律令」
 ☆口語では、「てんのう」でなく「おおきみ」「すめらぎ」と呼んでいた
 ☆養老律令で外交では「皇帝」、臣下では「陛下」とするとされていた
 ☆皇位継承の原則は、男系というのは一貫している
 (例外を除き30歳を超えてから即位し、生前退位はなかった)
 ☆女帝は、推古天皇が初めてでなく、神功皇太后が1926年までは、最初の女帝だった
 ☆その時代、女帝はダメだという認識はなかった
律令制の家元だった北魏と隋
 ☆推古天皇の朝廷が派遣したのが、小野妹子の遣隋使
 ☆ギリシャ彫刻のようだった仏像が中国風に丸顔で柔和になる(飛鳥や天平の仏像)
 ☆日本文化のルーツは、中国の南北朝のうち南朝にある
 ☆政治機構の律令制度のモデルは、南北統一した隋帝国
 ☆中国の高句麗征伐の副産物で、中国・日本の国交が結ばれたのは日本外交的勝利
 ☆遣隋使が持参した国書の文言は、「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す」
 *隋にとっても受け入れ可能な、よく練られた外交文書
 *隋は、外交で日本と連携するのは、重要な課題だったので我慢した
シルクロードにつながる地から唐は興った
 ☆唐を建国した李淵は、煬帝が殺されたことを知ると唐を建国した
 ☆中国では、唐時代、経済は成長し人口も増え、人々の生活水準は上がった
 *経済成長に見合うだけの税収構造が実現しなかった
 *均田制は与える田畑がなくなり崩壊し、府兵制も行き詰まる
 ☆仏教がもっとも栄えたのは隋の時代、唐の時代には道教が重視された
百済の滅亡と新羅のコウモリ外交
 ☆唐の時代、唐は新羅と組んで百済を片付けることにしたので日本は苦境に立つ
 ☆百済は、敵対する高句麗と和解し、日本・高句麗・百済同盟が成立した
 ☆孤立した新羅は、屈辱的な従属路線をとつて唐に百済攻撃を要請、百済滅びる
 ☆新羅は、唐との外交カードとして日本の脅威とか威光を上手に使った
 ☆遣唐使による唐との交流は、日本の発展に大きな成果をもたらした
 ☆百済からの仏教伝来で、日本で文明発展し、日本で文字が本格的に普及した
 ☆日本は、百済経由のものでは満足できなくなり、遣唐使を派遣する
 ☆遣唐使より、律令体制という統治システムを輸入したことも文明の吸収を加速した
聖徳太子は天智・天武にとって祖父の仇敵
 ☆欽明天皇のとき、百済の聖明王の使者が仏教を伝える
 ☆仏教を受け入&皇位継承で、蘇我氏と物部氏が対立し蘇我氏が勝利
 ☆推古天皇、蘇我馬子、聖徳太子のトロイカ体制で日本の政情安定する
 ☆推古天皇の時代
 *「冠位十三階」「十七条憲法」『国記』『天皇記』編集
 *遣隋使に小野妹子を派遣
 ☆推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子が、日本を一流国家への脱皮させた
 ☆仏教は、倫理性の向上、精神的な安定等、総合的に寄与することが評価された
 ☆三人の死後に、蘇我蝦夷・入鹿父子が突出し、反対勢力が起こした大化の改新
 (原因は、欽明天皇のあとの皇位継承)
 ☆聖徳太子は、天智・天武の祖父である押坂彦人大兄皇子の仇敵
中世天智天皇は神武天皇以上の存在
 ☆天智天皇には多くの子女があった (天智天皇の子、大友皇子が特に有能)
 ☆天智天皇の弟の大海人皇子(天武天皇)が継ぐことが既定路線
 ☆天智天皇の死後、壬申の乱が起こり、天武天皇の即位
 ☆天武天皇の後、天武天皇の皇后、持統天皇、草壁皇子の子である文武天皇
 ☆平安時代初期の桓武天皇や嵯峨天皇は、日本史上でもまれにみる強力な天皇
 ☆藤原氏の絶対的優位は、摂関時代になって確立した
光明皇后と藤原仲麻呂のめざした大国日本
 ☆聖武天皇とその皇后光明子は、仏教にこだわった国づくりをした
 ☆奈良に大仏を造営したり、「悲田院」「施薬院」を設けた
 ☆大仏は、日本の歴史の中で大きく長い成功をおさめ、国家統合の象徴となった
 ☆聖武天皇の娘の孝謙天皇に譲位すると、上皇よりも皇太后のほうが発言力が大きくなる
 ☆藤原仲麻呂は、孝謙天皇からも信頼され、淳仁天皇を即位させて絶対的な権力者となった
 ☆淳仁天皇は『日本書紀』を編纂した舎人親王の子
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出典、『最強の日本史』


仏教伝来・聖徳太子・大化の改新(『最強の日本史』より画像引用)

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