メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

念仏で雨は降るか? 

2011年05月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞に連載されている五木寛之の『親鸞』。
日照り続きで雨乞いの法会に親鸞が狩り出される。
盛大な法会を行って、雨が降らなければ命は無い。
なぶり殺しの目に遭う。

五木・親鸞は「念仏は、そのような加持祈祷ではない。
念仏で雨は降らない」と判っているが、あえて、
「自分が生贄になろう」と7日間の法会を行う。

はたして、雨は降るのか、降らないのか、やきもき
しながら、毎朝、新聞が来るのを待ち遠しい思いで
待っている。

今朝(5/25)、6日目でまだ、雨は降らない。親鸞は
6日間、不眠不休、飲まず食わず、糞尿垂れ流し。
もう、汗も尿も、声も出ない。壮絶な行だ。

五木寛之は、そんな「行」を体験したわけではない
だろうに、その心理状態、体の反応がどうして判るの
だろう。実にリアルで、精魂尽きる筆致に、感動を
覚える。

「自分が生贄になる」とは、こういうことだったのか。
命を捨てる覚悟。まさに「捨て身」「捨身飼虎」の
御仏になろうとしている。

親鸞の念仏が、今、これほどまでに世に浸透している
理由が、私には判らなかったが、事実かどうかは
ともかく、五木寛之は、私の疑問に応えてくれている。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ