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平成の虚無僧一路の日記

尾瀬での戊辰戦争にわが先祖の名 

2011年05月24日 外部ブログ記事
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私の妻の叔母「蜂谷 緑」の著『尾瀬ハイキング』の中で、
「戊辰戦争の時、尾瀬でも、会津藩と官軍の戦いがあった」
ことが書かれていた。それを読みながら、そこに、私の先祖も
居たような 気がした。そこで、ネットで検索してみたら、
なんと尾瀬を守る隊長が「牧原文吾」だった。

「牧原文吾」は、当家の系図では、「会津藩を脱藩して、
松井九郎と改名し、大鳥圭介に従って、函館まで行き?
行くへ不明」となっていた。

それが『天極記』他に「別伝習隊、松井九郎、元会津藩士、
牧原文吾」として、名前が載っていることが判ったのだ。
要約すれば、

「戊辰戦争で、上州の諸藩は( 保身のため ) 官軍側に
付き、難路の尾瀬方面から、会津に攻め入ろうとした。
そこで、幕府別伝習隊が、松井九郎(牧原文吾)を隊長と
して、桧枝岐から尾瀬に向かい、戸倉の戦いで、官軍を
撃退した。

しかし 会津より、会津藩兵と交代するよう命令がきて、
松井九郎(牧原文吾)は会津に戻り、8月24日、会津若松
城下七日町で 敵の陣中に斬り入り、戦死した」という。

なんとも、不思議な気がする。父は「尾瀬林業」に勤めて
いたが、このことは知らなかった。そして、私は、妻の
叔母から「尾瀬でも戦いがあった」ことを知って、なぜか
先祖のことが頭に浮かんだ。

そして、ネットで検索していて、「行くへ不明で 墓も
無い 牧原文吾」のことが判ったのだ。

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