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蘇我氏のルーツは渡来人? 

2018年08月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



“古代の大悪人”か”時代の変革者”か

 ☆古代史最大のクーデター乙巳の変(蘇我入鹿が暗殺され蘇我氏が滅亡した)
 ☆奈良県明日香村で、入鹿の父、蝦夷の墓ともいわれる小山田古墳が発掘された
 ☆蘇我氏一族のルーツは、奈良を拠点とした「倭人」といわれている
 ☆最近「朝鮮半島からの渡来人」との新説が打ち出された
 ☆文楽や浄瑠璃では古代の大悪人とされるが、時代の変革者ともいわれる蘇我氏

蘇我氏渡来人説を唱える坂靖氏
 ☆蘇我氏の出身地は、朝鮮半島南西部の全羅道地域と推測する
 ☆明日香村北部では、朝鮮半島南西部の全羅道とそっくりな土器が出土した
 ☆飛鳥地域は、全羅道地域から人々が渡ってきた場所
 (飛鳥に移り住んだのがのちの蘇我氏)
 ☆蘇我氏は、飛鳥時代を切り開くうえで歴史的に大きな役割を担った
 (日本書紀では、蘇我氏の横暴を強調する)
 ☆蘇我氏は、朝鮮半島から仏教や先進技術を取り入れてた立役者
 ☆明日香村で発掘された方墳小山田古墳は、蝦夷の墓と推測する
 ☆坂さん「蘇我氏の果たした歴史上の役割を客観的にみる必要がある」とコメント
天皇の外戚として栄華
 ☆蘇我氏は稲目、馬子、蝦夷、入鹿が「蘇我四代」と呼ばれる
 ☆稲目は、娘の堅塩媛(きたしひめ)を欽明天皇のもとに嫁がせる
 (用明、推古天皇が生まれ外戚として権力基盤を築いた)
 ☆稲目の子の馬子は、聖徳太子とともに政治の実権を握る
 ☆第32代、崇峻(すしゅん)天皇を暗殺するなど独裁色を強めた
 ☆中大兄皇子と中臣鎌足が、天皇の前で入鹿を殺害し蝦夷も自害し蘇我本家は滅亡
渡来人“未開の地”を開拓
 ☆飛鳥地域はもともと湿地帯で住みにくく開発も進んでいなかった
 ☆不便な土地を与えられた渡来人たちが、大陸の先進技術を生かして開発
 ☆経済だけでなく政治的にも実力をつけ、稲目の時代に権力の中枢に入り込んだ
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『産経新聞』




“古代の大悪人”か?”時代の変革者”か?(『産経新聞』記事より画像引用)

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